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「わたしは一体誰から捨てられたのか」 by元・要養護児童

コラム

親子離別のトラウマを認識できない無愛着児童
 
 あきれるかもしれないがわたしは捨てられていた事は理解できるが、さらに誰から捨てられたのかその辺がピンとこない。物心付いたとき施設にいたというのはそういう事だ。

 昨日、印親権もない父親の扶養義務履行に驚いた話を書いたものの、それじゃ親権を放棄しなかった血縁母は自分を捨てなかったのか?というと苦笑せざるを得ない。どっちも施設へ子どもを放り込んだままであったという点で全く同じ穴のムジナだったのだから。

 今は会話をシンプルにする為、便宜上、捨てられたと表現しているに過ぎない。捨てられたと感じるためには捨てられる前を体験しておく必要がある。その元データなしの捨てられ感は、データのない空っぽフォルダだ。

他の児童養護施設出身者たちの傾向
 
 養護施設出身者という立場でブログやサイトを開いている人は数も増え、それぞれ丁寧に自分の気持ちに向かい合っている。

 一部「自らを児童養護施設出身者と言いながら、よく読み進めると子ども時代の半分以上を家庭で育ち、家庭から社会へ出ていった子が、強く自らを児童養護施設出身者と発言している場合もあるが、どうしてもそう表現したい理由があるのだろう。もしかしたら家庭との折り合いが悪ければそう表現してしまうのかもしれない。

 彼らは機能不全家庭から養護施設へ保護された体験を持つので、養護施設は天国と表現する。又は施設が虐待施設でなければ、その後引き取られた自分の家との違いを見て、施設は天国と表現するのかもしれない。たしかに三食食べられる、テレビが見れる、学校に通えるという、生き物としての最低必要を備えているのが児童養護施設なので、ひどい家庭から来た子がそう表現するのは理解できる。
 
 シャープでも個人的には、何も無理に児童養護施設じゃなくとも機能不全じゃない里親家庭もご飯は三食食べれるし、学校も通えるのだけどね・・・。まあ、それはおいといて。

 虞犯少年は施設で虞犯行為が止まらないながらに吐き出しをする事ができた子は、養護施設は家庭だと表現する。そうかもしれない。

 彼らはそれぞれの措置理由を背中に背負い発言する。わたしも数年ブログをやっているので、様々な施設出身者の発信を眺めてきた。だから彼らには彼らの表現が必要である事は理性で理解している。

 そして「機能不全家庭生活も長い施設出身者」「機能不全親への怒りを持つ施設出身者」が、自らも施設出身者だという看板を背負って怒りを向けてくる場合もある。シャープ本人は向けてなくとも、それらの文章を見かけた時、自動的に判断する場合もある。

 わたしは、彼らは彼らの立場で表現すれば良いと思うが、明らかに子ども時代の半分以上家庭で過ごし、どちらかというと親との問題を抱えている人は「養護施設体験者」と表現すればいいのではないかと考えるのだ。

捨てられ感覚の無さ

 児童養護施設には集団養護しか知らない家庭未体験児童がいる。ふだんは自ら声をあげる事も知らず、絆もないので消えてゆくので発信できる力を残している元・児童がなかなかいない。彼らは施設で全て育てられている自分の問題に自らでは気付けない。わたしも自らでは難しかった。

 養護施設にいる子たちは、施設内マイノリティのその子達に気付いていない。そういう子がいた事も誰も覚えていない。被虐待児童や虞犯少年たちの大声にかき消されて、要養護児童の声は聞こえてこない。
 
 施設を天国と表現している人は捨てられた人ではなく虐待を受けた人だ。彼らの課題は機能不全家庭の問題であり、家庭の問題だ。

 家庭を体験した事がないという子ども達は被虐待児童とは又違う問題を抱えている。シャープしかしそんな子どもも施設で虐待を受けてしまう場合がある。
 
 その子らが捨てられ続けていた事に気づけるのはもっと大人になり、自分が子どもを育てる年齢に達した時、その時、捨てられていたんだという事にようやく気づける。

 でも情けない事に元・要養護児童は誰とも長いスパンで誰かと接点を持った事がない。捨てられている事は分析的な理性で判断できるが、誰から捨てられたのかその捨てられた体験を確認できない。捨てられたという事実を持っているにも関わらずピンとこない。

 だから「捨てられた者としてわたしはこう考える」という発言をする時、痛みを感じない。

 その言葉を聞き、傷つくのはどちらかというと捨てられはしないものの家庭虐待で傷ついた元・被虐待児童達だ。わたしは傷つき感が無いので、自分についての捨てられた事実を基に、表現する事が多いので、わたしの発言はある種の人々を傷つけるのだと認識している。

現時点での納得

 捨てられる事は傷つく事だという理解へ進むためには最低でも捨てられる前の固定された一定期間の愛着期間を体験しておくべきだろう。それが、自らも子捨ての連鎖を断ち切る為の動機付けになると思う。

| └ コラム | 06時53分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

施設全部育ち&捨てられた者の課題


 Maria、おはよう。捨てられている事にも気づけなかった施設全部育ちは、いつしか、捨てられたという言葉に傷つけるようになる為、捨てられない、捨てない関係を1人の人と作る必要があるのかもしれないね。

 

| レイ | 2007/05/28 06:44 | URL | ≫ EDIT

 そうね、
 あたしたちが捨てられたと平気でいえるのは、物心ついたら捨てられている状態だったからなのね。

 でも、「捨てられる」という言葉がトラウマになっていたり、傷ついたりする人がいるというのも理性では理解できるわ。

 はー、それぞれの施設育ちが、それぞれに発信してくれればいいのに…

 あたしたちは、家庭と施設を行き来する施設経験者の言葉は代弁できないわ。

| Maria | 2007/05/28 01:48 | URL | ≫ EDIT

Leiがトラウマ

Leiがトラウマをできるのかー♪

| BlogPetのお勉強中のちび | 2007/05/27 10:15 | URL |














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