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ガラスばりの児童養護施設

コラム

 ぞーうさんの記事を読み、養護施設をどのように感じているか、又書きたい誘惑にかられたので少し動物園というキーワードで心情吐露させていただこう。 

 わたしはニュースで動物園の動物の様子を見るのが好きではなかった。妙に身につまされるような、変な気分にさせられていた。最近は親から育児放棄されたホッキョクグマのクヌートという小熊が大人気だそう。世界中からかわいそうな小熊に寄付が集まり、億単位の潤いを動物園にもたらしたそう。

 ふと、思い出した事がある。

 数年前、夕方の閉園間近のある動物園にMariaと共に出かけた。白と青の色でペイントされたコンクリートの舞台で、1頭の白熊がプラスティック製のボールを壁面に打ちつけていた。同じ事を何度も何度もやっていて、ボールが壁に当たる甲高い音が耳に痛かった。何故彼は止まらなかったのだろう・・・。

 「白熊の故郷」を模したその舞台には海と氷の風景画が描かれていた。その舞台の上でイライラしているように見える彼(彼女)の姿を、一般の見学者の自分は「乱暴な動物」としか捉えていなかった。
 
 その動物園の他の動物たちもお世辞にも良い環境で過ごしているとは個人的には思えなかった。良い環境ではないけれど最低限の食事の保障はされているように見える。雨・風を凌ぐ建物も(檻)ある。

 狼の小屋では「彼らが檻に戻らない時は水を掛けろ!」と先輩飼育員が後輩飼育員に指示しているのが聞こえた。もう夕方で客もいない、狼を小屋に戻す為には大声を出して脅したり、水を掛けたりして小屋へ戻そうとしていた。わたしは動物の扱いに詳しくないので、飼育員というプロである彼らの動物への扱いが正当であるかどうか分からず、それでも違和感だけが残った。

 動物園を見て養護施設を連想することは、わたし個人とはしてはよくある事で、ガラス張りの生活をしていたのだと回想する。渦中にいる時は気付かなかった。

 好きな時に好きな事をして去ってゆくボランティアたち。又、全く知らない見学者がドヤドヤと押しかけ、部屋を空けられて覗き込まれて、話しかけられて、そんな生活が当たり前だった。子どもたちは覗き込まれるばかりで、どんなお客がやってきたのか知らない、知らないけれど愛想よくさせられる。

 でも子どもたちは生活そのものが舞台の上で行われているようなものなので、プライバシーの意識も当然なかった、侵入されているという気持ちもなかった。わたしも大人になり夫と共に施設の見学に行った。その時、部屋を次々に眺めて回るわたしの態度を「失礼だよ」とたしなめられた。案内の職員もわたしも、誰もが子どもたちの部屋を覗く事を当たり前だと思っていたので、夫の意識にはびっくりさせられた。そして今では夫の感覚は正しいのだと思う。

 特に、わたしはブログをやっていても侵入や人間とのそれぞれの距離間やなどについて把握できない部分があり、今でもそういった事で他の人たちに迷惑を掛けやすい。自覚に至れた事は良かったがかなりの時間を費やした気がする。

 親のない恵まれない子どもたちは、善良な人々を前に養護施設へお金が集まる為に劇をし、歌い、ガラスばりの生活を送り続けている。クリスマスの劇だけが舞台じゃない、日々の生活が舞台上のものだ。

 北極熊の故郷をペイントした舞台で、北極を知らない小熊が歩き回る。その姿と児童養護施設の子どもたちが重なる・・・。

 施設では家庭を知らない子どもたちが、施設がいうところの「大きい家族」という表現につき合わされ、見た事もない家庭を体験する機会も与えられずに恵まれない子どもとしての表現ツールとして扱われる。

 所謂善良な一般の人々を安心させる為に、いつまで恵まれない子どもが必要なのだろうか。家庭を知らない一部の児童に本物の家庭を与えてほしい。恵まれないといつまでも云い続けるのではなく、子どもにとっての最善の利益に立ち、最善の利益を、きちんと税金を払える大人に育てて回収(納税義務は恩とは関係ないが)してほしい。そして子どもを育てられた通りに育てても機能不全にならないように育ててほしい。

 それが子どもの未来に責任を持つ大人だと思う。きれい事じゃなくていいから(泥にまみれて怒って泣いて)子どもと共に生きる大人がいて欲しい。

以上。
 
あっ追記

 ガラス張りなのは施設側が見せたい子どもたちの生活。それ以外の領域は不透明どころか城砦のように堅牢に隠されてるのは養護施設の内実。そこは分けて考えようと思うけど。

| └ コラム | 06時41分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

うまく言えないよ

 
 Maria、一緒にあの時のオオカミの姿を見たね。あの時、誇り高いオオカミがそんな扱いを受ける事自体うまく頭の中で処理できなかった。オオカミには特別な感情があるのでとても覚えているのよ。

 Mariaとは一緒に体験している事も増えてきてるね、自分だけの体験じゃないことはきっとうれしい事なのかな。

 そうそう、確かに養護施設には色んな人が来る。慰問というのもあって、これから売り出したい演歌歌手がきたこともある。でも普通に考えれば子どもが演歌を聞きたいわけもない。
 
 施設は大人の都合に合わせていつでもどんな来客にも備えようとしていた。一般家庭に皇室も来ないものね、変な世界だ、養護施設は。
 
 

| レイ@Mariaへ | 2007/06/21 08:55 | URL | ≫ EDIT

応援してます

jtwさん、おはようございます。

>それで今週からネグレクトで家を出る他なかった高校生がうちへ来た。

 心にインプットしておきたいです。ネグレクトですか・・・。高校生になってようやく、ですか。よく高校そのものに進学できたなあと驚いています。応援とネット的にはずっと共にいたいと思います。お知らせをありがとう。わたしも動物保護区域に住んでいますので、色々考えちゃいました。


| Lei @I l ive in wild life protection area | 2007/06/21 07:38 | URL | ≫ EDIT

ガラス張りなのは開園時間だけ…

Leiちゃん、
本当にそうだわね。

 でも、さらにいわせてもらえば、お客様がいる間は、職員もにこにこしていて、心優しい「飼育員」だけど、お客様が帰ったら、いつもの管理的な態度に戻るのだと思うわ。

 あのときの動物園の飼育員も、閉園間際でお客がほとんどいなかったから、あのような乱暴な態度だったと思う。常識ある大人なら、子どもたちも含めてお客様がいたら、あんなことはしなかったと思うわ。

 もっとも、子どもたちのプライバシーという概念を持たない施設職員と、動物を見せるのが仕事という飼育員は、どこか似ているし、お客様が来なければ経営が成り立たないという点も似ているわね。

 動物園に行くと、いつももの悲しくなるのは、そして、胸が苦しくなるのは、檻を「家」として生活している動物に、かつてのあたしを重ねてしまうからかもしれない…。
 見学される側から、見学する側に変わっても、申し訳になさが先に立ち、動物園を楽しむことができないわ。

 養護施設は「大きな家」ではなく、子どもを収容する「大きな動物園」であるのは、間違いないわね。
 やって来るのはお客様だけではない、監査も入るし、皇族までやってくる。勲章をもらう職員もいるし…

| Maria | 2007/06/21 07:31 | URL | ≫ EDIT

jtw

zooを「野生生物保護公園」と言い換える動物園もあるそうです。名前を変えたところで「児童擁護施設」と似た語感になるだけで生物の専門家がなければ どうにも ならない。上野動物園には昔からプロがいた。施設にはプロはあまりいない。特に田舎には。それでも今 当地の施設は満員です。それで今週からネグレクトで家を出る他なかった高校生が うちへ来た。13年一緒にいた前の子は去年今頃家出した。その後も里親登録はそのままにしてたので。しかし施設が満杯の時に里親へ頼もうというのは 優先順位が間違いです。13年の経験と それよりずっと長い実子育ての経験が人生の終わりに役に立ったら いいと思う。

| jtw | 2007/06/21 07:22 | URL |














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