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「同じ屋根の下に住んでいる人は家族」である

養護施設を出てからの問題ありがちな具体例

 だから赤裸々生活当たり前?

 今はもうそれを当たり前と思うように努力しているので逃げ出したい気持ちを抑える事ができるようになってきたけれど、結婚したばかりの頃は事態がうまく飲み込めなかった。それでも「これくらい大した事はない、大丈夫」と思える範疇だと思っていたので自分を励ましていた気がする。


ねこ2



 ああでも、どうしても我慢の限界がやってくるのはトイレ兼用(使用中入ってくるわけじゃない)、お風呂兼用生活。最初は「こんなの平気」と飛び込んだ。世の習いに従い一緒に夫婦でお風呂に入っていたけど何事にもやがて限界がきた。平気と思い込む必要すらないかのように、世間の家庭の生活は兼用ばかり。夫の生家もどこの家もそう。
 
「家族なんだから当たり前だろ」と言われるたびに「冗談じゃない!」と言いたくなる。「同じ屋根の下に住んでいても分けるべきは分けるべき」と思いたくなる。夫の生家のトイレに行く時は心を殺して入るような大げさぶり。自分の家のトイレは塩素系クリーナーで潔癖症のように掃除しないと気がすまない。塩素の匂いに包まれるとホッとする、なんでだろう。

 もちろん世間に照らし合わせるとわたしの方が絶対おかしい。でも「家族だから」という一言で全て済んでしまう事がうまく理解できない。葵の御紋のように「家族なんだから」という言葉、通じる相手には通じるのだろう。

 家族という、なんというか赤裸々な場所で自分をさらけ出せない人間はどうしても何か精神的に張り詰めてしまうのかもしれない。リラックスする場所じゃなく臨戦態勢の場所になる。

 「同じ屋根の下に住んでいる人は家族」という言葉は家庭で育った人にとり特別な意味合いがあるのだろう、そこを分かって欲しいのだろう。だから「家族なんだから」と責めたい気分になるのだろう。

 でもわたしは、男女はきっちり分けられて育ってきたので、どうしても感覚が追いつかない。家庭はすごい、ある意味(スルーしてね)、ほんとうに凄すぎる。 そしてやがてその先の老人介護へも自然に流れてゆけるのかも。わたしは児童養護を主題としているが、本当は人の一生はゆりかごから墓場までを、視野に入れて生きるようだと認識する必要あり。

 施設では女子と男子は基本的には建物の構造としてきっちり分けられている。男子トイレ、女子トイレと分けられている。男子部屋、女子部屋と分けられている。分けられていても入って来られてしまう事の方が多いとしても「分けられて」いる。

  もし女子の領域に男子が入ってくるとしたら(仕事がある職員は別として)何か特別な目的があっての事と位置づけられる。夫だから、家族だからというたった一言で済ませられてしまう事が、そのまま自分の未処理の不快感に繋がってしまう。

 でもこればっかりは、養護施設のトイレも男女兼用へとはとても言えない。養護施設の家庭的処遇の中に、男女のトイレ兼用が追加されたらミモフタもない。そういう意味でも児童養護施設はやはり大きな家庭・家族なんて言ったらおかしいと思う。

 理性と衝動の間で

 「家族なんだから」という言葉が大きな大きな分厚い壁だという気分は単に気分でしかない。理性で割り切れれば何て事はない話。でも理性の前に、兼用への激しい抵抗というものが現に存在する事を無視して、受け入れ続けているとしたら何も整理できない。逃げ出すか、挑戦するかの二者択一しかない感覚をリラックス空間の筈の家庭生活へ持ち込む事も、養護施設の感覚を家庭へ持ち込む事になってしまう。

 まあ、それでもなんとか慣れていかなくてはと思う。理屈ではなく、これが家族なんだとインプットするにはかなりの時間が掛かる。まだ一般社会で生活しはじめて○○年、結婚生活に至っては○○年。そこらあたりの年長児童より世間に疎い。

| └ ありがちな具体例 | 05時44分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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