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「虐待を受けてないわたし」は、長らく後ろめたい思いを持っていた

コラム

 虐待を受けてない事で、わたしはリアル世界でかなり怒りを向けられてきた。あまりその部分を語らずにきたけれど、わたしは随分後ろめたい思いを持ってここまで生きて来たのではないかと思う。

 今、わたしは養護施設で全部育つという事の問題を語り続けている。この語り続けている意識がわたしを後押ししている。今なら文章化を少しずつできると思う・・・。

 わたしはネットを通して施設内虐待について考えはじめていた。でも「あいつに虐待の何がわかるんだ!」と叫んだという機能不全家庭で育ったクラスメートの言葉は。けしてわたしに直接ぶつけられる事はなかったけれど、第三者を通して聞かされた時はかなり堪えた。わたしは虐待の現実を何も判っていないのに施設内虐待の活動に参加していると、彼女に語ってしまっていた。そしてその時点では、彼女が家庭で虐待を受けていた事も知らずにいた。

 一つ一つは断片だから、互いに繋がる話ではない。でもそのシーンごとに、いつも誰かはわたしに何かを訴え続けた。言葉になりきれない叫びを聞き続けてきた。それなのに聞き続ける力量がなかった。わたしは虐待された人々から、どうしてこうもたくさん聞かされ続けるのか理解できないままだった・・・。


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 でも、わたしは同時に自分が一方的に怒りを向けられている事に困惑していた。それは今、そう思ったわけじゃなく、ずっと遠い昔「家庭で虐待された子に比べたらお前なんかいい方だ」と思わされるメッセージをずっと深層の部分で受け取っていたと感じる。この言葉は実際に職員から言われた言葉でもある。

 施設には色んな虐待を受けて入ってくる子がいた。わたしは捨てられても単に元気に生きていた。でも、耳をひっぱられ「いいか、聞け!お前は幸せだ、傷を受けたあのこ子をみろ」とばかりにわたしは聞かされていたような気がする。がんばって生きてるだけなんだ、それが何?と思いながらも、耳を傾けてきた。でも、理解はなかなか・・・。家庭虐待の人の怒りを分かる筈ない、難しい。

 わたしは、長らく後ろめたい思いを持っていた。家庭育ちのリアル世界の一部の彼らはわたしに怒りをぶつけ続けたが、わたしは虐待を受けてないという理由だけで、ただただ、反論できずにいた。


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 長い時間を経て、施設で全て育った事自体問題である事を発信し続けてきた事で、ようやく語る力を得た気がするが、それまでのわたしは虐待を受けていない自分を後ろめたく思いながら過ごしていたし、そのように怒りを向けられる事をどこか反論できずにいた。怒りを向けられても仕方ない、わたしは無傷で生きてきたのだからと思って生きていた。

 過去、その事で責められる事が多かった為、誰に対しても過剰防衛の気持ちが強かった、人間関係を作る以前に自分の気持ちを何とか守ろうとする事にエネルギーを費やしていた。

 Wolfに向かいあえなかったのも、同じような理由だった。わたしより前に家庭で虐待された女性に寄り添っていた彼を応援していたのに、いつの間にか自分が会う事になり、だんだん気が重くなっていった。そして彼が虐待を受けてないわたしに怒りを向け始めるだろうと内心では覚悟していた。でも、8年経って、彼は虐待されていなくともその本人を責める人じゃないことが見えてきた。それが理解できるまで、わたしはWolfをずっと遠ざけ続けていた、虐待を受けていない自分は、傷もない事が、後ろめたい気分にさせられる事だった。これでは絆以前に、戦いばかりになってしまう。

  きっと施設には虐待を受けてない子は居づらかったのかもしれない・・・。施設職員の怒り方を見れば、被虐待児でなければ彼らの心に納得しないのかもしれないと今なら思うが、捨てられて施設へ入れられた子にとって、それは理不尽な怒りの向けられ方だ。捨てられた子も好きで施設に入っているわけじゃない。

 本来なら気にしないでいいはずだった虐待を受けてない事は養護施設の中では責められる要因になる。わたしは、そういう後ろめたい思いを持ちすぎている事と捨てられ切った思いとの両方の心理を持て余してきたような気がする。


| └ コラム | 19時36分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

うん、その感覚に近い

 
 うん、わたしは今養護施設にはあらゆる措置理由の子が来ているという部分を意識的に強めて記事を書いてる。その理由は、やはり養護施設が本来の孤児院から発祥しているという事を忘れてもらいたくないから。

 それを基本とした上で、養護施設を語るために書いてるから、Kasumiさんの言ってる事、すごくわかる。ありがとう。子どもを取り巻く環境がどのような環境であるかという視点は、とても大事。家庭、施設の境界を越えて伝えていける。

 がんばろうね。

| レイ@Kasumiさんへ | 2007/07/02 12:06 | URL | ≫ EDIT

思い出した!

虐待防止法の定義というか、暴力を(虐待)振るう相手を養育者に限定(親だったかな?)にしてるのがそもそもの混乱というか勘違いの元なんですよね。

改定されたのか、したいと言っていたのかまでは思い出せないけど。

アメリカみたいに「子どもが育つ環境として不適切な関わり」と定義してくれたら、養親、児童間の暴力なども、話題になるのになぁ・・・と、講演会で思ってことがあります。



| kasumi | 2007/07/01 19:18 | URL | ≫ EDIT

Maria、ありがとう


 トラバありがとう。これからも少しずつ親から捨てられた子を取り巻く記事を充実させていこうね。

| レイ@Mariaへ | 2007/07/01 18:33 | URL | ≫ EDIT

大事な事を忘れないで発信しよう


 坂井さん、はじめまして。コメントをありがとうございます。養護施設には家庭で虐待を受けた子の他に親から育児放棄されたり、捨てられてしまったりした子が住んでいます。親との虐待の体験がない事で、時には職員の怒りの矛先にされる事もあります。

 坂井さんのおっしゃる

 「当事者ではない人」にも償いを求める事を認めてしまったら、それは「虐待の連鎖」を認める事にもなってしまいます。

 を、わたしも心に持ち、スタンスを揺るがないように書いていこうと思います。本当に書いて下さりありがとうございました。

 

 

| レイ@大事な事 | 2007/07/01 18:31 | URL | ≫ EDIT

トラバしたわ

Leiちゃん、

長くなったからトラバにしたわ。

| Maria | 2007/07/01 13:43 | URL | ≫ EDIT

当事者

こんにちは、初めまして。坂井と申します。

私は虐待以前に、おそらく「とても幸福な家庭」で育った人間です。
そのせいで、被虐待者であった友人に対して負い目を感じていた時期も、ありました。

暗黙の内に
「どうしてあなたは私と同じ苦しみを味わっていないんだ、不公平だ」
と主張しているようなことを言われると心苦しかったし、
「私はこんなに苦しいんだから、幸福に育ったあなたは私に償うべきだ」
と主張しているような事を言われると、心が揺れました。

でも、それは、違うんですよね。
だって、過去において「友人が傷つけられたこと」についての「当事者」は、「友人」と「友人を傷つけた人」なのであって、「私」はその行為における「当事者」ではないのだから。

そして、何より「私」は、その感情に同調しては「いけない」んです。

だって、その「過去」は、「あってはいけない」過去だったのだから。
「あなたも同じ思いをすることが公平だ」という感情に同意してしまったら、それは、許されないはずの「友人を傷つけた人の行為」を肯定する事に他ならないんです。

もちろん、被虐待者が虐待者と真向かうことの難しさはわかるから、向かい合うべき相手が違う、なんてことは言えないけれど。
でも、「当事者ではない人」にも償いを求める事を認めてしまったら、それは「虐待の連鎖」を認める事にもなってしまいます。

どんなに共感したい相手であったとしても、私は、相手の感情に流されてしまってはいけない。
それでは、私という存在が友人と対峙している事に、意味がなくなります。

虐待という行為に対して、被虐待者の痛みに引きずられることなく、
それはあってはいけないことなのであり、虐待のない環境こそがあるべき環境なのだと認識できることが、
幸福に生きてきた人間の強さであり、「必要な事」なのだろうと、今は考えています。


それと、語るということについてなんですが。
ことばを発信していく、という事は、とても難しくて、とても大切な事だと私は思っています。
「ことば」は、発した瞬間に「形」を取ります。
「ことば」は「ちから」です。受け取る側にとっても、それから、発した側にとっても、力を持って何かを訴えかけてくる。
だからどうか、これからも語り続けてください。

| 坂井 | 2007/06/30 22:09 | URL | ≫ EDIT

Kasumiさん、ありがとう


 その時点で分からなかった事も、発信を継続していく中で掴んでいくものだと思う。誰にも理解されないからと当り散らさず、わたしもKasumiさんも、自分の言葉を自分の心を、文章という形として残してきた。

 わたし達は今も流動的、今分からない事も5年後には分かっていけるかもしれない。「違い」について言及してくれてありがとう。

 その違いの上で、わたし達は子どもの最善の利益とは、虐待のない、捨てられないという事を発信していける。これからもよろしくね。
 

| レイ@今だから分かること | 2007/06/30 09:19 | URL | ≫ EDIT

多分・・・。

実親から、虐待されることすらもされなかった、関わることを拒否された事実だと思う。

私は、レイさんに「あなたに虐待のなにがわかる?」と怒りをぶつけた人に、「あなたこそ!!」と言い返したい気持ち。

家庭虐待の代表みたいなことを言わないで欲しいと、思います。

それぞれの痛みも重さも違ってあたりまえだし、そのことを尊重されないことは、親(大人)や社会がしてきたことの連鎖と変わらないって思うのです。

よく似てると思うとか、同じ感覚のようだとか記事を書いて「違うと思う」とMariaさんにもWolfさんにも、言われたけれど、今だからわかる、その違い・・・って。

すべてをわかっているわけじゃないけど、レイさんに怒りをぶつけてきた人たちは、「間違っている」と今は正面を向いて言えると思う。

事実を知らないと何もいえない。

知ったかぶりも知らん振りも出来ない。(笑)

| kasumi | 2007/06/29 22:13 | URL | ≫ EDIT














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