「家庭の人も同じ」というツッコミが入るたびに感じること

コラム少しナーバスなんですよ、そう見えないだけで。
親も親戚縁者も誰も居ない施設育ちの貧乏話1つ取り上げる時に「家庭の人も施設の人も貧乏に関しては変わらない」というツッコミが入る。まあ、貧乏というタグの定義づくりするなら語句としての共通認識を持つ必要があるだろうが、体験話として語る時は心情がどうしても入る。
所謂かつての恵まれない子どもが成長してからも施しを受けたという気持ちを語るたびに「家庭の子も近所から古着なんてしょっちゅう頂きますよ」と言うツッコミが入る。
貧乏なのは施設の子だけじゃないと言いたいのだろう。・・・そんなの当たり前だ。わたしはその貧乏カテゴリ内のさらに施設の子、それもオール施設育ちの、親戚縁者一切いない人間の話を書いている。家庭育ちだって貧乏には色々ある。見え方が単に貧乏だとしてもそれぞれに固有のエピソードがある。そんな当たり前の事ははしょっていた。
心情を語る事は論理的ではない分野だから書くのを控えるべきか。レスするなとは言わないけれど、あまりに「家庭の人も同じだよ」というツッコミが入り続けたブログの歴史なので、どうしてこうも同じようなレスが続くかなあ・・・と不思議に思う。
ただこれはわたしのスタンスだけど、わざわざ家庭の人のブログへ行って「施設育ちも苦労している」「施設育ちだって貧乏だよ」という書き込みはしないだろうなという事。
感情鈍磨な人間がかろうじて自分の感じ方の手がかりを得ようとしている時、レスする側にそのつもりがなくても、書き手としては水を差された気持ちになる。
世間知らずの施設育ちが社会に出て初めて直面する現実の中で一番大きい問題は金銭に伴う事だ。家庭育ちが家族全員で抱えてきた貧乏とは別種の、十五歳や十八歳の養護施設育ちただ1人で抱える問題だ。ただ貧乏なのじゃない。この世界に誰も寄る辺無き自分の立場であるという世界観を含んだ記事のつもりた。家庭から会社に通うクラスメートのお茶に付き合うだけで食費が確保できなくなるなんて現実を施設にいる間に学ぶ機会もなかった。
そして施しを受けたという問題についても、古くから家族ぐるみで付き合っているご近所から古着を貰うのと、対等である筈のクラスメートの親からモノをもらうのでは心情的に全く違う。施設では全国から大量の古着は集められるが、親しい近所のいない施設に古着を持ってくる人はいなかった。施設が近所の鼻つまみものだった事は肌で感じていた。
自分がそう考えるに至った体験を整理していて、その整理が家庭育ちから見て「それは違う」と感じる部分もあるだろう。どうも施設育ちだけが○○じゃないと言いたげだが、こちらとしては返答に苦慮する。わたしは施設育ちの抱える問題を書いているのだから、他のパターンに配慮しても仕方ないと思う。
| └ コラム | 02時57分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
























いい記事ですね
もやいの活動の記事ですね、ありがとうございます。
| レイ@あっmarcoさん | 2007/07/20 13:35 | URL | ≫ EDIT