スタンス■ わたしの怒りについて わたしは今回怒った事についてはモノのつかえが取れた気分だ。だから単なる怒った1人の人間だ。誉めてくれたり、諭してくれたりした方々、すみません。怒りを持った事実は自分が引き受けるものだと思っている。
たんにわたしは怒った。それだけだ。そしてこの怒りにはMariaを罵られて怒るしか対処のしようがなかった志向性の怒りだと自覚した。
Mariaの傷をそばで見つめてきたからこそ、わたしは彼女からMariaが嘘吐き呼ばわりされたり、うさん臭いと言われたり、施設への差別丸出しの発言を読まされる事へ、底知れないものが湧き上がるのを感じた。
■ この一週間の自分の記事の傾向 でも実際にわたしが怒りを怒りとして表明するまで一週間ものタイムラグが生じていたと知った。まだ3日しか経過していないと思っていた。
どうやらわたし自身も記憶のあいまいさや、施設育ちであることや、性的な地雷を踏み抜いた影響をうけ、Mariaとほぼ同時に精神被害を受けてしまい、怒るよりも先に状況を把握する事に努めてしまった。現在自分に何が起こったのかを状況の把握をする心の癖が働いてしまった。
思えばここ一週間の自分の記事は、ずっと状況の把握をするためのレジュメ的な記事だった。
そして彼女の怒りの元が、記憶障害を訴えている人への無理解からくるものなら大人的対応をすべきと自分をいさめた。この時にMariaもわたしもそれぞれに大人的対応をしようと努力していた。
そしてhasigotanへ当てたつもりで、解離性障害、記憶の失われ方、WolfとKoalaの回復作業にまで触れ、何とか彼女が読む事を期待した。もし彼女が傷の回復を望んでいるなら、彼女はAmazonかオンライン書店へすぐに向うだろう、又はお近くの精神科へ周囲の人が連れていくだろうと期待した。
そして同時に他の人も彼女のところで解離性障害についての簡単な説明や、いろんな情報に繋がる示唆が含まれたコメントを返していた。しかし彼女は、せっかくの有益と思える情報が含まれたレスコメントや、又、彼女を諭す人のコメントを消しまくった。
そしてその理由として、全てはMariaという同一人が書き込んだスパムコメントだと罵り、IPを確認してほしいというコメンターの発言も削除してしまった。
わたしは首をひねった。
■ 「この人は救われたいのではない」とその時思った。 この時、何故かこの人の態度を知らないわけじゃないと感じた。養護施設にこのような子がいたことをボンヤリと思い出しかけていた。自殺未遂、罵り、性的罵倒は当たり前・・・こういう人は同じ事を繰り返すよな・・・と思った。
わたしは、彼女が過去にこのような「事件」を起していないかとネット検索をした。Mariaやわたしが、彼女からこれほどバッシングされるには何か理由があるという前提で対処しようとしたので遠回りしたが、やがて彼女は同じような事を繰り返していた事。
過去に他の人を相手にそっくりな展開をしていた事を知った。
そしてますます思った。
この人は、見も知らぬブロガーを罵り、つぶす事によろこびを見出していると。この人は怒る事が全てなんだと。救われたいのでも回復したいのでも勉強したいのでもなく、のたうちまわるわたしの傷を見ろと叫ぶ獣だと。
つまり、わたし達施設育ちは、彼女の怒りの為に屠られるところだったのだと。その時、無性に止めようもない怒りが湧き起こり、わたしは状況把握の為に費やした時間を返せと心で罵りながらマウスを三つくらい壊し、前歯の横の歯が折れ(全く関係ないんだけど・・・)、気付いたら今朝になっていた。
■ わたしが一週間も固まった理由 そして「理屈の通じない人、傷の回復を望んでいるのではなく傷を晒してここを見ろ!とわめき散らす子」に対しては、養護施設でも職員はホールドしていた事をぼんやりと思い出した。男の職員数人で、荒れ狂いつばを吐き散らす子を押さえていた、あの光景が心に侵入してきた。
養護施設には彼女のような被虐待児が来て施設をかき回し、周囲の子をDVの被害者にして去っていく。その問題をわたしは過去に書いてきた。わたしが本当に固まった理由は、もしかしたら児童養護施設の場面をフラッシュバックしてしまったのではないかと自己分析している。Mariaがいなければ今も固まったままかもしれない。
虐待を受けた子が保護されたその先の施設では、このような台風の目が施設へ次々と送られてきて、何の関係もない子を次々になぎ倒し、嵐のように施設を去ってゆく。残された子達は抱えきれない傷を負わされ、黙って生きていくしかなかった。
今回の彼女とのやりとりは、まるで養護施設での一場面を見るかのようだった。養護施設では実際に血の雨が降り、物理的な被害も散々起こる。ネットでそれに近い破壊力を生じさせた彼女の存在は、暴力家庭で育てられた人にとってもフラバを呼び起こすものだと思った。
■ 自分の怒りを正当化しないその理由 彼女個人のユニークさ(面白いという意味じゃない)に目を奪われていると素直に怒れなかった気がする。一番の被害者であるMariaをケガさせられて怒れないなんて、わたしにとっては一番の悲劇だ。だから気持ちのままに怒った。何故ならとても頭にきたからだ。
たから正当化はできない。怒りは怒りだから。
そして、今目の前にある事実に怒っているのか、過去を想起させるから怒っているのかと問われたら、わたしはその両方が絡んでいるから怒っていると自覚している。フラバになるような事を書き散らかす彼女の姿勢に猛烈な怒りがある。
だからわたしのこの怒りについては、後ほど(数日後か、数年後か)整理作業が必要になるであろう事も覚悟している。それでもわたしはMariaが傷つけば同じように被害を受けたと感じるのだから、だから固まり、だから怒った。Mariaが傷つく事は他人事じゃないんだ、わたしの問題でもあるんだ。
そしてMariaもずっとそうやってわたしの為に怒ってくれていたのだと知った。
心のままに
ありがとう。あとで色々整理しましょうね、少し取りこぼしたり、言葉が足りなかったり誤解してしまった部分も今は丁寧に説明できていないね。
そばにいてくれたらきっと良いんだとおもう。でも直接そばにいるのは、きっとわたしで良いのだと思う。つまり距離に応じた役割があるという事かも。
ありがとう。Kasumiさんの心のままに。
| レイ@Kasumiさんへ | 2007/08/26 09:15 | URL | ≫ EDIT