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他の施設出身者の語る児童間暴力の被虐話に傷つく施設出身者の心理

養護施設を出てからの問題

 過去の体験を語れない施設サバイバーが多い・・・と感じたので、わたしなりに整理しておこう。

 養護施設という場所を生き延び、何とか今の生活を維持している人々にとって、養護施設での虐待の話をする事、とりわけ児童間暴力・性暴力などについて語る事は、人によっては傷を抉られる思いを持つ事であるという事に気づいた。
 
 傷を抉られるという言葉のイメージは、通常では被害者のフラッシュバックを誘発するという捉え方をされるだろう。確かに児童間暴力の様子を微細に語られればフラッシュバックを起すだろう。しかしそれは、どちらの立場でのフラッシュバックなのだろうか。それともフラッシュバックは被害者だけのもの?

 もっとストレートに言うなら被害者としてのフラバか、加害者としてのフラバか、どちらだろう?

 ひとりの施設出身者が児童間暴力の話をすると傷ついた気分になる他の施設出身者の気持ちとはどういうものか。

 わたしは自分も含め彼らが被害者として(のみ)フラッシュバックを起すからという単純なものではないと感じている。

 わたしなりに解釈すると、かつて加害者になりそうになったその体験からも、

 大人になった施設育ちが過去を語る時けして被害者としての部分だけを語れない。児童間暴力の話を突き詰めれば突き詰めるほど、ひどく傷ついた気持ちになるという時、加害を起こしそうな恐ろしい自分、ひと時も気持ちが休まらない、1人の子を傷付けるも10人の子を傷付けるも同じ という気持ちへ引き戻される。

 自分の被虐を語るという事は、加害を語る事にもなってしまう。この話が諸刃になる施設出身者がそれほど多いという事だ。

 今では本を出して有名になった施設出身者の人でも、荒れた施設で血の雨を降らせたという職員時代の話を他の職員から聞いている。でも当人は全く書いていない。養護施設はそういう場所だという事実にフタをして、施設の条件を良くすればいいという範囲設定に留まっている。

 このような方々は養護施設の存在を否定すれば自分のした事も否定される気持ちになるのだと思う。

 わたしはAliceさんが公開でブログを書く心理状態じゃない事がようやくわかってきた。わたしは被害者としての体験をほんの1つしか覚えていない。そのうえ、その後加害者になりそうな心理的な葛藤を抱えてしまう、加害者の心理について理解が進んだので関連記事を書き続けてきた。

 彼女にとってはその記事全てが刃のように感じられたのかもしれない。

 ある意味、家庭で親から虐待をされ続けた人は純粋に被害者だ。力強く被害者としての悲しみ、痛み、苦悩、発信をまっすぐな気持ちで表現していけるだろう。

 家庭で虐待を受けたkoalaさんの体験記には共有感覚を持てないとAliceさんは言った。その意見を当時読み、彼女は施設独特のものを背負っていると感じた。そのAliceさんは時々、わたしに気持ちを向けているのが感じられた。
 
 100人規模の児童集団の中で虐待の連鎖の誘惑は常にあり続ける。虐待を受けた怒りが全ての免罪符になり、自分がこんなに苦しんでいるんだから、お前も同じにしてやるという心理が内面に膨れ上がっている。。

 わたしは被虐体験ならば語れるけれど加害体験を語れない施設出身者を少し哀れと思う。その理由は、純粋に被害者でいられなかったから。保護された施設にはもっと小さい子がいる。自分がされた怒りを、まるでロールプレイングゲームのように表現してしまうから。

 わたし個人は、施設育ちは家庭のサバイバーと同じ心理の構成とは思っていない。純粋に被害者になれない施設サバイバーは、加害も含めて語れる土壌を求めているのだと思う。それなのに施設を否定する事は自分のすべてを否定する事になり、加害も被虐も両方語れない。行き詰っていると感じる。

 そして・・・。

 わたしも小さい子を前に加害者になりかけた体験を書く事に確かに躊躇があった。
 
 現実は加害体験を語らなければならないのが施設サバイバーの厳しい点。多くの子が自分の被虐を語れないのは加害も語る事になる事が多いから、みな口を重く閉ざしてしまう。

 このような事をもっと世に知ってもらいたい気持ちがある。施設の子が虐待の連鎖の空間でどれほど試練にあっているかを・・・。

 純粋に被害者になれない施設サバイバーの苦悩を発信していけたらと思った。

 以上

|  養護施設を出てからの問題 | 06時14分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

こちらこそ、ありがとうございます

昨晩は、突然のコメントを失礼いたしました。

Leiさんとmariaさんのブログは、私も拝見していましたが、私の回復を手伝ってくれている人のほうがより熱心に読み込んでいるかもしれません。

他の児童養護施設出身の人間が、どのように感じ、考え、何を不自由に感じているのか。
事情があって、施設時代の人間関係からはほぼ断絶している私から情報が得られないこともあって、むさぼるように読んでいました。

私自身、自分のなにが問題なのか、さっぱりわからない状況の中で、彼女にとっても、私にとっても、ネットから得られる情報はとても重要でした。
私自身の回復につながるような情報が得られたこともあり、とても感謝しています。

Leiさんやmariaさんはこれから里親さんになるひとや、なるかもしれない人に向けて発信されていると思うので、不本意な情報の扱われ方なのかもしれませんが・・・。

これからも、応援しております。

| Cheese | 2007/09/09 00:34 | URL |

cheeseさん、ありがとう

cheeseさん、書いてくださってありがとうございます。

養護施設では、どの子も純粋な被害者でいられない。やられた子は、手近な小さい子にやる。

短期間での暴力・性暴力の連鎖が続いていくのが家庭虐待と違うところなの。

そして、被害者は語れても、加害者は語れない。かつての被害者も、一度でも加害をしたら語れなくなる。

施設出身者はたくさんいるのに、ネットで語れる人は数える程。施設で加害をしなかった人は、数える程しかいないと思う。

あたしも、加害の記憶はないけど、単に都合良く忘れているだけかもしれない。全部の記憶があるわけではないから…

こんど、Edwardさんが厚労省の諮問機関である児童部会社会養護専門委員会に意見書を出すというの。

この、児童間暴力、性暴力と、回復の難しさについて、意見書に入れてくださるようにお願いするつもりです。

| Maria | 2007/09/08 12:01 | URL | ≫ EDIT

親記事を書いてよかったと心から思います


 Cheeseさん、はじめまして。そして加害の側面について、養護施設が虐待の連鎖の場になりやすい場所である事や、つらい体験を書いてくださり心より感謝します。

 一連のレス記事を読み、頭が少しボーっとしましたが、確かにわたしも知っている世界です。口に白い泡を付けて血走った目の指導員・・・不思議ですね、わたしもかなり拳で殴られましたが、その時スローモーションのようでした、シャツのボタンがちぎれて飛んでいくのも。その指導員は自分を自分で止める事ができていないのが、殴られながらよく判りました。

 この職員は覚えてるようでした。「あの時、熱烈な指導の為、ホールドをした」と言ってましたが、ホールドじゃなくて殴られたんだけど・・・と思いました。

 そしてわたしは、殴る事への敷居が極端に低く、今絆作りをしているWolfさんという人がいますが、うまく言葉に言えない時、殴ってしまった事がありました。

 家庭の人が被虐体験に専念して語る事を経て、親になった時に虐待親にならない道を選択するのとは又違う施設育ちゆえの問題があると感じていました。

 施設育ちはすでに施設内で暴力の連鎖をしていた事による整理が必要である事、又、暴力を行った事がない施設出身者でも、暴力的空間で育てられた事による心理への影響が残り、それが症状として表れ、全く改善されないことなどキリがありません。そしてもちろん集団から殴られ、追いかけ回され、怯え続けた被虐を語る事も、一度でも殴った事があれば、自分を自分で許せなくて語れなくなります。(記憶がある場合)

 かつての被虐体験を語れる施設出身者が少ない事などから、自分の加害をしそうになったこと、実際に年下の子、年上のボスを殴ってしまったこと、などなど、これからも整理していきたいと思います。わたしにとって加害というのは今まで性的な加害のことだけだと勘違いしていた問題もありました。性的なことさえしなければ、あとは罵ろうが殴ろうが大したことがないという思い込みから脱却することも、大変重要な課題でした、これは又いづれ。

 本当に書いて下さって感謝します。これからも少しずつよろしくお願いします。施設出身者の方の発言を大変嬉しく思いました。

| レイ@Cheeseさん、はじめまして | 2007/09/08 02:11 | URL | ≫ EDIT

はじめまして、こんばんは。
私は、乳児院から児童養護施設を経て、諸々の後、
現在はシンクタンクで駆け出しの研究者をしている
Cheeseといいます。
いつも、拝見しています。
施設でのことは一時期、思い出すと頭痛がするほどだったのですが、大切な人を得て、その人とのかかわりのなかで、少しずつですが思い出すようにしています。

私の専攻は社会学です。
社会に存在する、言語化されがたいことを言語化し、
普遍的に存在する絶対多数の人々が理解しやすい形に
ブレイクダウンするのがお仕事です。
施設出身の研究者の絶対数が少ないからか、
今のボスは施設のことを検討することを薦めます。
マイノリティである実感を持っていなければ、
突破できない風穴があるから、と。

私はそれを拒否し続けていました。
この記事を読んで、なぜ私がかたくなに
児童養護施設当事者としての研究の確立を拒んで
きたのか、理由がわかった気がします。

私は、指導員に襟首をつかまれ、頬を何度も殴られた
記憶があります。
この記憶は、ずっと以前に思い出していました。
この記憶と重なり合うように、小さな女の子の襟首を
つかみ、殴ったような記憶があるのです。
この記憶は、医師との精神療法で、解離状態に
陥った記憶として整理されてきました。

でも、この記事を読んで、私はおそらく小さな
女の子の襟首をつかんで、殴った経験があるのだろうと
思うようになりました。

あの指導員と同じように。
薄笑いと、泡のような唾液を口の端にくっつけて。

私の手の甲が、女の子の柔らかな頬を殴打する感触が
生々しいほどのリアリティでよみがえるのです。
こんなことは、文書で言語化することはできません。
ましてや、論文とすることを念頭に長期間この感情とかかずりあい、事実を見据えることに、私の精神が耐えられない。

被害経験は、同じ経験を書けば書くほど
多角的視点をもつことができるけれど、
加害経験は、言語化するだけで、焼け付くような
焦燥感を感じてしまいます。

大切な人、絶対に私の元を離れていかないその人に、
話し言葉で加害経験を話し、己の回復を促すのが
いままでは精一杯でした。
こちらには、里親さんになりたいと考えていらっしゃる
かたがいらしているようです。

ちいさなこどもたちに、わたしのようになってほしくない。私のように、暴力の血統を、血のつながりのないところから、わざわざ引き継いでほしくない。

その一心で書きました。

ご迷惑でしたら、削除してください。

長文乱文、失礼いたしました。



| Cheese | 2007/09/08 00:47 | URL |

未整理な過去と施設という環境


 エディさん、おはようございます。

 関連?記事
http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/blog-entry-19.html

 などが出てきました。去年の記事です。養護施設で働く職員は機能不全家庭で育てられた過去を整理しないまま職員になった場合、子どもの態度は地雷となり、理性を簡単に失ってしまうという事など、児童養護施設が閉鎖空間の集団世界である事から、客観性の喪失などがあると思います。

 でも体罰や行き過ぎた指導は虐待であると捉える前に、自分は指導員として然るべき指導を行ったと言います。これは家庭で父親がしつけのつもりでやったと発言したとしても眉唾ものとして捉えられやすい事からすると、童養護施設職員が「指導の範囲で起した行動」だと言えば、プロが言うことだからと納得してしまう世間の反応があると思います。

 そしてそれ以前に職員は役割が指導員である事の心的作用が影響していると思います。わたしは児童養護施設の職員が普通の会社員をしたらすぐに「おかしい人」と思われても仕方ないだろうなという人を、かなり見てきました。わたしの実感としては、子ども相手の仕事だから何とかやっていける人が多いです。でも施設指導員という肩書きが、個人のおかしさをアンシャープネスにしてしまいます。

 実際に大人になってから会った職員は「指導」という言葉をよく口にします。それは世間の親たちと違い自分はプロであるとの認識の強さが現れている言葉だと思います。地域の児童養護施設の役割は、地域の家庭の相談所のような機能を盛り込もうとしている事からも、指導員、保母などはプロであるという認識が強いため、それを隠れ蓑にして自分の育ちの問題から生じる、行き過ぎた指導をする人が多いと感じています。

 それが児童養護施設独特の閉鎖空間ゆえの児童虐待へ安易に繋がる背景だと思います。施設の虐待があっても、地域の人が「職員が情熱を持って子ども達を指導している」のだとだけ捉えていたら、養護施設の子どもは虐待されるがままです。

 わたしは施設虐待のリスクの高いのは、収容所形態の閉鎖空間共通の特性・問題があると思っています。はてなブクマで資料を集めていたのですが、失ってしまったので又、ウェブ上で探して、右の方のブックマークへ随時追加していきたいと思います。

 そういう性格の人が職員になることが多いのですか、
それとも施設で職員をやっているうちに虐待をするようになる何かがあるのですか、
施設外との関係のストレスを児童に晴らしているのですか、
職員同士は見てみぬふりですか?


 エディさんの質問に答えきれているか判りませんが、役割というものが起す心的作用について、過去の整理が出来ていない養護施設職員はほぼ全て、虐待をして行くと思います。

| レイ@エディさん | 2007/09/06 10:41 | URL | ≫ EDIT

施設の職員・理事(世間で言う「取締役」)は 虐待だという意識もなく虐待していることがある。子どもは よほど 酷くないと 法務局や新聞社へ訴えない。普通 子どもの親が 子どもへの虐待を告発するが 施設の子どもの親は 生んだだけで 施設に入れたか 途中まで育てて止めたかした親は わが子が虐待されているか どうかに 関心もない。 あるいは 週末だけ迎えに来る親は 施設に遠慮があるらしい。やっと 子どもの権利ノートなど 配布されて 子ども自身が 告発するようになった。施設に第三者委員会は 付いているけれど 理事のお友達によって 構成されているようだ。施設では 子どもに発言権が認められていない。最終消費者である入所者(こども)の気持ちを無視しても 措置費は上から来る。普通の企業は 消費者をアホにすると 雪印のように潰れる。施設は安泰。
虐待の一例を挙げれば(これを施設は虐待と思ってない):施設内の塾(週末の復習会)が無料で奉仕により行われているという施設もある。一般の塾なら 親が金を払ってるから 態度が悪くても「もう来るな」と言うだけで おしまいになるが、施設内塾は 奉仕なので 子どもは些細な事を言っただけで 引きずり出されたりする。その子も 周りの子も抗議できない。耐えている。理事・職員・ボランティアはこれを虐待と思ってない。虐待だと思う人は 止めていく。学校で子どもを教室から引きずり出したら 問題になる。
市内の3施設は この10年で すべて 職員から子どもへの暴行で新聞に載った。今 3施設すべて満員で 来年 市内にもう一つ施設が新設される。

| jtw | 2007/09/06 05:52 | URL |

職員の虐待

レイさん。辛いご記憶をしっかり読ませていただきました。

入居児童たちの虐待の連鎖はとてもうなずけるのですが、職員たちが児童を虐待するのはなぜですか?

そういう性格の人が職員になることが多いのですか、
それとも施設で職員をやっているうちに虐待をするようになる何かがあるのですか、
施設外との関係のストレスを児童に晴らしているのですか、
職員同士は見てみぬふりですか?

普通の学校にも、先生までがいじめに加担するような空気がある場合がありますが、それのもっと強烈な空気が施設にはあるのでしょうか?

| エディ | 2007/09/05 17:41 | URL | ≫ EDIT














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