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職員や他の子どもの数だけ作られてゆく「自己イメージ」と価値基準

養護施設にいる間の問題

 「みんな」という言葉そのものを使われなくても、行間や、全体の流れから読み解く「あなたの行動のせいで、みんながめいわく」という流れを勝手に読み解く癖がある。

 わたしは「みんな」を連想する色んな言い回しにわけもなく引きずられる時がある。言った人が全く知らない人でも、言葉に反応する。そしてそれが非公開のメールなどを使って言われると、だんだん何も言えなくなってくる。

 本当は自分自身何を感じているか・・・。どれほど誹謗中傷されていても反応するこちらが悪いという気分になり、一切反論できなくなる癖がある。

 わたしは、こういう展開に非常に弱い。

 見も知らない人から色々といわれる事に対しては防御力が全くない。それは何故だろう、自分の中で取捨選択する能力が低い気がする。

他人の自己像に合わせる癖

 わたしを知りもしない人が、わたしを勝手に「優しくて大人しい人」だと位置づける。そのイメージから少しでもずれてしまえば、その人がおもむろに怒り出す事が多かった。わたしは自分を優しい大人しい人と位置づけ、その他人のイメージ像の範囲内で生きてしまう。かといって、その他人が大事な人である筈もない、ほぼ条件反射なのだ。

 わたしは自我がよく判ってなかったので、人の数ほどあるわたしのイメージにすぐに合わせる事ができた。

 養護施設では職員や他の子の数だけわたしに対してのイメージがあった。優しい大人しい子、少しユニークで明るい子、読書好きな子、活発な子、勉強の苦手な子、頭の悪い子、

 不思議な事に彼らの顔を覚えていなくても、その職員ごとにわたしは、自分のイメージを合わせることができた。その職員が求めるイメージの子になり、事なきを得た。その時はその職員の好きなタイプの子になれるから。

 それが後に、多重人格のようだとクラスメートから言われるまで、何がおかしいのか判らなかった。施設ではごく普通に、相手が持つわたしへのイメージへ自分を合わせる事が出来た。すぐに場面ごとに切り替わった。数人に囲まれるとどの人格を出していいか分からなくて、ボーっとした。

 他の子はどうか知らないが、多くの職員や上級生の間で、何とか生き延びる為には、自我を確立しすぎるとその先の話が進まないことが多かった。相手が自分に持つ自己イメージにあわせた方がその場をさっとやり過ごすことが出来た。

 それ以前に自我が良くわからなかった。本当の自分と言うものがわからなかった。

本当の自分が判らないという問題

 だから日向ぼっこサロンの副題でもある、自分らしくいられる場所という言葉が理解できずにいる。本当の自分が判らない。本当の自分を勝ち取らなきゃ本当の自分にならない気がする。

 本当の自分というよりも、分裂しすぎてどれが自分か判らない。多重人格といわれた時、さすがに凹んだけれど、それほどわたしは色んな面があるという事であり、しかも施設では誰もそんな事を問題にしていないという事だと、今のわたしなら理解できる。

 多くの大人の間で生きるという事は、多くの価値基準の中で生きるという事で、流動的な相手に合わせる事はその瞬間生き延びる上でごく自然に、無自覚に身に付けてしまう機能だと思う。

 その瞬間だけやり過ごす為に作られた人格を作っては捨て、作っては捨て、新しい職員や大人の価値基準に合わせて、又作る。

 そういうのを、家庭の子からみたら「多重人格」に見えるのかもしれない。

今から作る本当の自分

 最近のわたしは、自己イメージを自分で作っているような気がする。少なくとも手ごたえを感じる。その方法は文字通り戦っているので多少問題があるにしても・・・。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 16時49分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

 Mariaは何でもないMariaだから、上の全てを網羅してるし、上の全てを満たしてるわけじゃない。

 いつも色んな表情を持ってる切り身じゃないMariaと共に生きてるから、わたしの中であなたがどんな顔しても、いつもMariaを感じる。

 全てのあなたの顔を固定されたわたしが見続けているよ。ありがとね。

| レイ@切り身じゃないMariaと共に | 2007/09/14 06:43 | URL | ≫ EDIT


 Skatchさん、コメントをありがとうございます。前にも書いて下さったのですね。改めてよろしくお願いします。
 
 今さっきブログを読ませていただきました。わたしにとっても有益な情報があったり、思わぬところで勉強になりました。リンクもしていただいていて、ありがとう。

 わたしもリンクをさせて下さい。里親の事はご自分の子どもがまだ愛着を形成している時期は、あまり個人的には大変な事例が多いと感じます。(個人的に抱いた印象ですが・・・)

 実子の愛着の安定が優先されてほしいと思いますので、どうぞ無理をなさらないで下さいね。

| レイ@Skatchさんへ | 2007/09/14 05:55 | URL | ≫ EDIT

こんばんはLeiさん。以前別の名前で2度くらい書き込みしましたが、今回からこの名前にします。


>自分らしくいられる場所という言葉が理解できずにいる。


という部分を読んで、私は家庭の中で育ったのですが、理解できるような感覚です。いろいろな人が共同生活をしている中で、一定の人間関係がなくて、人間関係の母体となるものがない・・・・すごく不安なことと思います。子供の時は自分の感情をうまく理解できないと思うから、「不安」という気持ちがあったのかどうかは分からないけど、とにかく一生懸命に毎日を過ごしていたんだろうなぁと、想像だけでしか書けませんが、そう感じます。


里親についてすごく興味があって、資料を取り寄せたりしました。でも、じっくり考えてみて、「今の私には無理だ・・・」と感じて、保留にしています。保留が解除されるのはいつか分かりませんが、きっといつか里親として、この世の縁で出会った子供たちといろんな時間を過ごしてみたいなと思います。


そんな感じで、今の自分の不甲斐なさを感じてしまい、しばらくこちらのブログにはお邪魔していませんでしたが、また読ませていただきますね。

| Skatch | 2007/09/13 23:47 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、

 あたしは、スッと一呼吸をおかないと、パーソナリティが変えられないの。
 その場その場の、期待されるパーソナリティを演じてしまうけど、場面が終わったら、フッと顔が変わってしまうの。

あたしは、
大勢いる時は、明るいMariaちゃん。
社長といるときは、けなげなMariaちゃん。
部下といるときは、頼れるMaria姉さん。
仕事相手といるときは、キャリアバリバリMariaさん。
お酒を飲んだら、場を盛り上げる愉快なMariaちゃん。
男の方にお酌をして、ちょっぴり色気なMariaちゃん。
女の子達といるときは、なぜか臨戦態勢のMaria姉御。

そして、
一人の時はどこにもいない名もない子…

仮面を取ったら、顔がないの…

だから、今日も顔をとっかえひっかえ、舞台生活。

Leiちゃん、自分の顔を作るために頑張ろうね。

| Maria | 2007/09/13 19:05 | URL | ≫ EDIT














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