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わたしも職員が子ども一人一人に向き合えば良いんだと思い込まされていた

養護施設にいる間の問題

 わたしの措置カテゴリは要養護児童だ。要養護児童は施設以外の子ども時代を体験した事がないので、すべては養護施設内だけの情報をかき集めて、よりよい環境になるにはどうしたら良いだろうと考えさせられていた。

・子ども自治と称して、施設が良くなる為の会議を子どもに開かせる
・自分のどこが悪いのかを延々と反省文を書かされる
・自分が集団に溶け込めない理由を考え続けさせられる
・不良が怖いと思っても、立ち向かえといわれるときがある。(薄ら記憶)

 これらは全ては、施設側が常に「原因を子ども達自身へ求めている為」いつまで経っても「要養護児童の養護施設措置というシステム的な問題」へ思考がたどり着けない。
 
 施設内の集団同士の譲り合いで、多少は浅く解決しても、親がいないという根本的な解決には至れない。職員一人一人が向かい合ってさえ解決できない問題があるのだ。

 こんな猫ダマシのような育てられ方をすれば、大人になった一部の施設体験当事者たちがこうなるのもわかる気もする。
 
 職員が子ども一人一人に向き合うシステムへ移行しても家庭にならない。実質的には子どもが何人に対して何人の職員が配置されれば無愛着の問題、家庭を知らない問題、親から捨てられた現実がクリアできると思ってるのだろう。

 施設はどれほど高機能になっても家庭にはなりえない。
 
  わたしも、結婚して愛着障害・無愛着の問題に行き着くまではこの問題の傾向がわからなかった。今もわかったとは言い難いが昔よりはマシになったと思う。絆づくり、結婚などを経て、自分がおかしいと彼らから言われる度に、真面目だった自分が否定される事は耐え難かった、確かに。

 だからずっと職員が向き合わないから子どもが虚無を抱えるんだと思い込んでいた。でもそれは違うのだ。そう思わないと施設でまっすぐ生きた自分が否定されると思っていたのだ。でも過去の自分を否定しなきゃ人と愛着なんか作れない。

 あの頃、養護施設が住み良い環境になるっていうのは実際どういう事かを、何故考える事ができなかったのだろう。養護施設にとって子どもが住みよい環境というのは大人の側の押し付けだったのだ。所詮は職員が子ども個別に関わりを求めずにすむように、管理しやすい環境を、住み良い、より良い施設環境というものにすり替えただけの事だ。

 子ども側に答えが出るはずがない。子どもは子どもとしての本能に基いて育とうとしているだけなのだから、養護施設の管理システムに合うわけもない。

 特に要養護児童については親から捨てられたという問題を抱えているのに、集団生活にそった身の処し方を人生の初めから教え込む事が正しいとは感じられない。

 もしわたしが一億近くも掛けて育てられて、今、愛着を誰に対しても持てて、愛される事や受け入れて貰えている事への安心を知っていて、それを自分の子へ繋げたいと思えているなら別だけど、わたしは夫から「ここは施設じゃない」と言われている。

 養護施設全部で育つ事は遅延性の爆弾を背中にくっつけられて世の中へ捨てられる事だと思う。わたしは養護施設当事者とはあまり言いたくない、まるで、支配する側の言葉のように感じられる。わたしは養護施設全部育ちだとしか言えない。

 当事者という言葉でボケていく事があるから、わたしは、養護施設全部育ちとしてこれからも、親が育てない子を里親家庭へ!といい続ける。

|  養護施設にいる間の問題 | 08時56分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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