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自らの加害性を文章化する作業と自分への処罰感情

コラム

 わたしは自分が自分の加害性を意識し続けた歴史は長く、施設にいた時代にはすでに恐ろしさを感じていたようだ。そうでなければ高校時代に懺悔日記という題名の抽象的絵画のような日記を書いたりしないと思っている。
 
 何に対する懺悔なのか知らないけれど、数年前その日記を公開したら他の人から全文コピペされ、それを知り合いの精神科医に見せる(見せた?)と報告を受けて、結果的にウェブ上から削除してしまった。でもオフラインで時々読むと、謝罪ばかりをしているので、何をしたんだろうという不安がたえずよぎっていた。

 そんな気持ちのまま、当時は「しつけ」などを施設で受け体験記などを書いていたが、同時に懺悔日記を内面にチクチク意識してしまい、どんな体罰やしつけや殴られた話を書いても、とうてい懺悔日記の心境に近づけないと思った。そしてだんだん書けなくなった。

 わたしも厳しいだろうしつけは受けたけれど(幾つかの体罰の記憶などで)でも同時に自分の断片の記憶といえば殴ってしまった事や、幼児を屋上に連れていき性的な暴行をしそうになった事など加害性を持つものばかり。

 その時は止める事ができたが、このような自分の性癖?について恐ろしく思い、どうしても子ども全般に近づきたくないという事、それらが現在の家庭生活にまで影響しているにも関わらず結婚してしまった。つまり問題が自覚化されていなかった。

 そのため、昔「虐待を受けてない施設出身者」とネット上で言い放ち、他の虐待を受けた施設出身者の一部の方を大変怒らせてしまったし、その上、加害の体験を書いた事でさらにその方々に追い討ちをかけてしまった感がある。

 でも加害体験を書く事は施設という暴力性のリスクの高い場所では当然起こり得る事として、自分の場合はかなり冷静に気持ちを書く事ができた。

 もちろん暴力性のリスクの高い場所だから暴力を起しても仕方ないという諦観の意味ではなく、その集団生活の中で知らずにコピーしてしまう世界観に、自分自身恐れている。#当時のわたしからの被害者が出てきたら当然加筆します、どんな内容でも。

 でも同時にわたしは、丁度被害を受けた部分の記憶はないのだ。被害と加害が表裏一体だとして、個人によりどちらかが記憶に残り、どちらかは残らないという事があるのかもしれないと思った。でもわたしは今も虐待を受けたという気分がどこに感じられない。

 加害だけを覚えている為、耳に優しい自分を抱きしめる言葉を蹴りつけながら加害性だけを意識してしまう気持ちは今もブラックボックスだ。Wolfはわたしを虐待を受けた事があるかもしれないと言っている。わたしにはその言葉は、自分の加害性を意識するよりも近づき辛い考えだ・・・。自分のフライトレコーダーもボイスレコーダーも見つけていないから仕方ないが、長い道程だ。

 そして「処罰感情」という言い方にもワナが潜んでいると思う。自分がやった加害をごまかさず、やった事を記憶しているならその部分をそのまま語る必要を覚える。

 「処罰感情に当たる部分」があるとしたら、それ以上は現時点では考える必要のない事まで自分を処罰しようとする意識を持ちすぎるとエスカレートする時があった。今は判らない部分は今は判らない、でも可能性は残っている。わたしはそのような感じで過去へ向っている。

 という事に何となく気づいた。

 追記

 言葉が定まらなくてかなり書き換えました。最初の時点で拍手を下さった方々、すみません(汗)削除した文章も心の中にありますが、最終的にこのようになりました。





| └ コラム | 06時38分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

電源切れてたのね


 すぐに忘れてしまう、ごめん。

| レイ@ごめん | 2007/09/24 16:05 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、
記事と関係なくてごめんね。

ケータイの電源が切れているわよ。

| Maria | 2007/09/24 15:43 | URL | ≫ EDIT














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