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誰が自分の今の相手かを定めること、今、その瞬間に対応すること

コラム

 これはメモ


 今は少なくとも誰が自分の相手かを常に定める必要がある。いつも変わりゆく相手だから、今、誰が自分と関わっているのかをしっかりと認識しておく必要がある。せめて名前と顔は一致させる。

 でも次には又、新しい人間との接点を持つようになるので、その時期に備えて今の相手に対して気持ちを残す事のないよう、飛ぶ鳥後を濁さずの精神で引き際を考えつつ、今を過ごさねばならない。

 スラスラと暗唱できるほどに身に付いている感覚。

 今の人に失礼があってはならないと思う、確かに。今の相手に真剣に心から向かい合っている事を示す為には愛嬌も必要だと知っている。今の関係を良好に保つ為には、最後の日には「ありがとう」と言ってもらえる関係性を作るため、愛想を持つ事は必要だと知っている。

 たとえ、行き違いなどがあり禍根があろうとも終わりよければすべて良しなのだ。

 大人のわたしは、その愛想の部分をやめているので、愛想を持った仮面の下の本音の部分だけが文章化されているのだと思う。こういう感覚は、大勢の人が入れ替わり立ち代り現れる事を基礎とした考えなのだろうと思う。

 無愛着の子はぬくもりに質や固定されたものを求めないと思う。抱きしめられることは必ずしもぬくもりと一致しない感覚を持っている自分としては、他人の肌は暖房器具にもならない。

 無愛着と愛着障害児は現れ方が似ているようであり、根本の部分が全く違うように感じる。愛着障害児はわたしから見たらものすごくウェットだ。ある特定の人をストーキングしたり、自分を見てもらう為に嘘をついたり、見捨てられ不安があったり、仮病を使ったり、ありとあらゆる手法で、この大人は信じられるかどうかを試す。

 でも無愛着は、他人を必要としない。

 ふと気付いたら試す相手はおろか、誰もいない集団の中で、誰からも相手にされるような人間(誰も引き取りに来なかった、捨てられた事実やら)ではない事を受け入れ、かかわりの一切がオートメーション化されていて、その中の既製品として世に送り出されるだけの施設製品と感じる。
 
 わたしを無愛着と、わざわざ愛着障害児と分けて仮診断したWolfは実は凄い人なんじゃないかと思う。わたしを愛着障害児だと思うと、心が怒りでおかしくなるような気がする。誰もいない人生を勝手に歩ませて、誰とも関わらせなかったくせに、愛着障害児になるもんか!と。

 わたしは、せめてぬくもり乞食だったら何か違ったのかもしれない。愛着障害児や苦悩する見捨てられ不安の心を持つ人が時々まぶしく見える。人が当然得る筈だったものを知っている人の怒り見ると、何故自分はそういう形で嘆けないんだろうと思う。

 自分ってモノトーンだなあっと。まあいいかとも思うが。


 

| └ コラム | 07時34分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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