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今、わたしは過去の育てられ方のしっぺ返しにあっている

くも2


コラム

 施設二世、三世という至りやすさ

 わたしは実は「捨てやすさ」についてはタイトロープだ。元々捨てられた自分という根幹から発する意識が、絆相手に対してさえも「切る期限」を常に探しあぐねている。

 そう・・・わたしには絆相手がいる。でも彼らにとって本当に何が大変かというと、たとえばWolfにとってはわたしの言葉を一つ一つ定義し直させる作業だと思う。彼は子どもを実際に育てているからこそ、自分にとっての通常が子どもを切り捨てる事になるという事が感じられるのだろう。

 休日や祝日には当然ながらケータイの電源を切っておく。休みの日にまでこちらに対応しなくちゃならない労力を減らしてあげたつもりで、わたしなりのマナーだった。それは出逢ってから今に至るまで、わたしは、やらなくちゃいけない最低限のマナーだと思ってる。休みの日にわたしにわずらわせられる必要はないだろうという考えだった。

 その代わり、平日になればきちんと電源を入れて対応できるのだから、わたしにとってはおかしくも何ともない。この態度で怒った人は過去において誰1人いなかった。夫に対しても「今必要な対応」をしているつもりだ。

 でも、そのように配慮しているというのに、WolfもMariaも怒る。このケンカで今週の前半は2人に一生懸命自分の気持ちを説明していた。でも彼らはいくら説明してもサラウンドで「おかしい」と言う。

 わたしは結婚しているけれど子どもがいない。子どもがもしいたらどんな風な子育てをしているか、想像できる部分もかなりある。子どもに対しては情というよりは、対処、応対的な気持ちになるだろうと考えている。
 
 子どもの求めに応じて必要を満たすとしても、衣食住の手配は常に怠らないけれど、子どもが「それ以上のぬくもり」「もとめ」を向けてきたら対応できなくなると思う。ネグレクトはいけないと理性でわかっているから最低限の事はするけれど、それは最低限のままであり続け、それ以上を求める子どもに困惑し続けるだろう。

 最近夫は「いじけても通じない人にはいじけない事にした」と言うようになった。でもWolfはそうはいかない。夫のように物分りはよくないので、常にわたしに対して怒りの再定義をさせる。

 彼は懇々と「祝日や休日だからといって、電源を切るのは職員といっしょだ」と怒る。わたしも反論する。「何故?あなたにとっての必要は満たしています」と。

 わたしは愛着に付随する「見えない求め」にはどう対処していいか判らない。

 わたしが「子どもにとってこれだけあれば充分でしょう?」と判断する基準が、どうも施設が提示しているものに非常に似ているような気がするし(過去の体験じゃなく、今施設に感じる体質)、一方、それでは足りないと騒ぐ「夫のような家庭育ち」に唖然としつつも、わたしは自分の本来の観念にもどろうとあせる。

 わたし本来の観念を突き詰めると、結局は養護施設の集団養育の場所に突き当たる。わたしが一番否定している世界は、わたしが一番馴染んでしまった世界だ。

 わたしは施設二世、三世を作らない為に考える必要を感じる。わたしが深い場所で「親はなくとも子は育つ」と思っている以上、子どもを作る事が出来ない気がする。

 リアル世界の子育てはネットの発信とは又違う。わたしはネットの発信とリアル世界の行動に著しい解離があるらしいので、この差が縮まるまではわたしは子どもを作り、捨てる事を視野に入れた子育てをしたくない、と、ふと思った。

#この考えはわたし固有の問題でもある為、施設で全部育てられた方が全て子どもを作れないという意味ではありません。あくまで主観です。


 

| └ コラム | 07時39分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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