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家庭で育つ事が出来ない子に必要なのは根性ではなく愛着

コラム

 機能不全家庭の子の「あんなの親じゃない」という発信と、施設全部育ちの「施設は家庭じゃない」という発信と、家庭から措置されてきた子の「施設が家庭だ」という気持ちが交差しやすい、スクランブル交差点のようなこのブログ。

 それだけ児童養護施設に入所していた時期は人々の過去の中で精算しきれない為、過去を解釈するにしても、何かその人毎のコダワリがそのまま現れるのだなと理解した。

 人毎に何を思ってもいい。その感じ方をわたしは否定も拒否もしないけれども、ただ1つわたしが譲れない気持ちで発信しているのは「家庭で育つ事ができない子に里親家庭を」と望む事。

 子どもの頃は、子ども時代が一生続くのかと恐れたが今、俯瞰で捉えた子ども時代は人生の中のほんのわずかな時代でしかない。大人時代というのは子ども時代に蓄積した情報をベースに生き、子どもを育て、老い、人生を終える時代。実はその大人時代の方が子ども時代よりもずっと長い。

 それなのに、大人時代を左右するするのそのわずかな子ども時代に蓄積した情報、蓄積した何か。それを元情報として生きるという事を知ったわたしは、できる限り過去の情報のストックの質を家庭生活をするにあたって良質なものにしたいと望む。
 
 わたしは、何も考えずに生きていたい。それなのに考える事がきらいなわたしが過去の育てられ方を考えなくては、家庭1つまともに作れない。子どもを育てるという意識などなく、子どもは指導する対象としか考えられない。その前に、子ども=児童であり、児童を指導するというのがわたしの感覚。
 
 だから、施設を出た子は、まるで体育会系さながらに「おかげで根性がつきました」と職員にあいさつしたりしている。職員も目を細めて「そーか、そーか、ま、がんばれよ」と肩を叩く。根性が付くのが成果として自己評価に繋がるならどうぞ。その人が機能不全家庭から助けられ、施設を家庭と思う事で、心理的に「逃げのスペース」を持ちたいならどうぞ。施設で全部育てられた(とくに男子)が、施設だけで育てられた事を病気自慢のように自慢したいならどうぞ。(←施設在所年月の長さと、沢山の人から何か貰った事だけが自慢できる全ての子が多いので、そう感じた)
 
 でもそんな風景に、捨てられた事を嘆けなかった子が入る余地はない。家庭で育つ事ができないから児童養護施設で育ったと考える事はたやすい。でもこれは本来なら、不必要な措置の流れだったと考えている。
 
 家庭で育つ事が出来なかった子は、根性じゃなく、本当はたった一人の大人に対して愛着をつけるべきだった。その愛着なきところで根性だけを付加したらどうなるか、鉄砲玉になるしかない。
 
 家庭で育つ事ができない子ども達を里親家庭へと思う事は、わたしの気持ちが矛盾を起すことがない唯一の発信なので、こだわっているのだと思う。


 

| └ コラム | 11時57分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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