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少年犯罪の終着駅・少年刑務所/少年院@ドイツ

養護施設にいる間の問題

 jtwさんがドイツ語のHPを翻訳して下さり送って下さいました。わたしは彼のおかげでさらに広い視点を持つ助けを得ていす。本当に心より感謝いたします。



 マヌエルは母親に施設に入れられたのは9歳の時だった。その後 8年間に10の施設・グループホームをたらい回しされた。ついにハンブルクで 最も危険な少年ギャングとして 新聞の大見出しになった。母親も役所も無力だった。なおざりにされた少年支援政策の結果だった。教育しにくい子どもが犯罪者になってからやっとドイツの役所は行動をおこすとベルリンの社会事業カトリック単科大学の教授・少年の権利の専門家Christian Bernzen は言う。

 児童青少年援助システムは崩壊の危機にあるとドイツの子ども保護協会の会長は言う。青少年関係の役所は財政難で、人手不足である。政治は子どもの保護をまともに受け止めていない。

 2006年にドイツで18歳以下の犯罪被疑者は278447人いるその内67000人近くは傷害罪である。ベルリンでしばしば警察に捕まった青少年は429人で、ハンブルクは650人だった。マヌエルはその内の一人。

 マヌエルは1989年生まれ。既に両親は離婚していた。父親はエクアドル出身だった。父は養育費を 払えなかったので母親は養育扶助を受けた。その後母は掃除婦として働いた。少年局の書類によると:マヌエルは母親から酷い虐待を受け、酷いトラウマを負った。

 乳児期から母親の彼氏から多くの暴力を受けた。3歳の時、2階の窓から落ちたか落とされた。極度の養育放棄だった。しかし当時の少年局はそういう状況を理解できなかった。役所の介護人は一度もマヌエルと母親 訪問していない。マヌエルは4歳半の時 手首を切るか電車に飛び込もうかと思った。この危機的な時期にどもるようになった。保育担当者を殴った。母親は養育相談所へ行くと約束したが、彼はそこで相手にされなかったと 主張している。

 段々と彼の行動は激しくなった。幼稚園で先生をナイフで脅した。学校へ入ると 同級生から盗んだ。授業はよく休んだ。先生は 母親に手紙をかいて、マヌエルは 嘘をつき、盗み、腕を振り回すと伝えた。家で殴られているとは誰も気が付かなかった。9歳の時教会のガラスを 叩き割ろうとして、警察は彼を確保した。殴られるからもう家に帰りたくないと警察に言ったがそれでも警察は彼を家へ戻した。ところが母親は彼を受け入れなかったので彼は施設に入った。

 その時 少年局は 里親を見つけようとしたかどうかについて役所は 答えない。

 施設でマヌエルは日常活動をマヒさせた。屋根に登り飛び降りると脅した。夜は何時間も職員は彼のベッドのそばで寝入るまで 付いていなければならなかった。後で 彼は職員に語ったところによると、家では暴力しかなかった。耐え難かったので死にたかった。少年局は問題児を田舎の施設に送りたがる。田舎で落ち着いて暮らすという理屈である。マヌエルは別の施設に送られそこで一人の女性職員を信頼するようになる。どもりも無くなった。12キロ太った。毎日学校へ行くようになった。それは14歳まで続いた。その職員が退職を申し出たと聞いてマヌエルは頭にきた。車の修理工場へ押し入り車を盗んだ。現行犯逮捕され 施設は追い出された。

 母親は彼を受け入れなかったので2004年に治療教育施設へ入れられたが、8週間で追い出された。難しい少年は施設をたらい回しされる。たらい回しは金がかかるだけで、何の効用もない。ケースワーカーは 子どもへの援助の計画を考えなければならない。援助計画の中には里親のもとでの養育も 選択肢として 含まれる。しかし2004年5月に共同グループホームに入れられることになった。半年そこで 暮らした。殴り合い家具を壊し職員を侮辱し自殺すると脅した。

 2004年10月に教会の献金箱をこじ開けようとして、オルガン奏者に見つかり捕まった。共同ホームの屋根に登って石を投げ スコップで責任者を脅した。入所者の一人の少年にビニル袋の中にウンチさせてその袋を振り回した。それでまた追い出された。2004年11月にハンブルクに戻り2005年1月にハンブルクの共同ホームに入った。

 そこで2室から成る一区画を与えられた。彼はニコというケースワーカーを信頼するようになり久しぶりに気持ちよく生きられた。その時15歳。「それまでに 経験したなかで一番よかった」と 少年局の職員に 話していたが、それでも学校へは行かないし、うろつき回って犯罪を犯した。

 もう一人の教育困難少年と一緒に家に押し入り33万円のディスプレイを盗んだ。この頃 彼は10回以上 警察に通報されている。マヌエルはまた 別の少年ホームに移った。

 2005年7月に16歳の誕生日の直前に スポーツカーを襲った。拳骨で車の持ち主に殴りかかり、キーを奪った。車を始動できなかったので逃げようとした。通行人が彼の前に立ちはだかったので殴った。その後逮捕された。

 精神科医は彼を隔離施設(少年刑務所)に入れることに賛成した。家庭裁判所は彼を少年刑務所へ入れるように命令した。すべての援助が失敗した時ハンブルク市は少年犯罪者を人の背よりも高い塀の中に入れることにしている。マヌエルの母は彼を少年刑務所に入れることに同意した。母は向精神薬を使うことにも 反対しなかった。なぜ 幼い頃に 殴る母親から養育権を取り上げなかったのかはよく 分からない。

 少年刑務所で彼は誰とも接触がなかった。職員や入所者を脅し、騒いだ。「檻の中に 入れられているような 気がした」と彼は後で 言った。監視付きの外出の時 どこかへ 逃げ、4週間後に 自分で戻って来た。戻って来るのと 引き換えに 「自由に外出できる ようになって 外で 実習をしたい」という要求をした。「外国人労働者の市民活動グループ」が職業準備教育を 約束したが、社会福祉の役所は 認めなかった。彼はグループで働く能力はないし、人を脅し暴力的幻想をもっているからという理由だった。それで少年刑務所に留まることになった。

 2006年5月に彼は虫垂炎で手術した。ホームの職員が彼を病院へ連れて行った時彼はいで警察が来た。手術後かってに退院し、ホームに戻ったが傷が開いてしまって精神科の閉鎖病棟に入れられた。

 その2-3日後 少年局は彼を別の施設に入れた。6月に別の事件で ハンブルク裁判所に出廷した。ハンブルクの高層ビルにある少年支援アパートに彼を収容することになった。そこでは時間単位でケースワーカーは 来ては去り、夜のあいだ彼は一人だった。彼はある男と一緒にほっつき歩いていた 9月のある夜2時頃 バスに乗ったところ、Stephanが座っていた。

 Stephanが バスを 降りた時彼らも降りてマヌエルの連れの男は威嚇射撃用のピストルをStephanに 向け、携帯電話と金を出せと脅した。マヌエルはバスに備え付けの緊急用ハンマーで 殴りかかり 倒れたStephanの 両膝をハンマーでたたき両足を骨折させた。この事件は大見出しで新聞に報じられた。

 マヌエルの母親は謝礼をとって取材に応じた。母親は知的な印象を与えた。何とか暮らしていくのに掃除婦として働くのでなく、別の人生があったのではないかという気持ちにさせる雰囲気をもった女性だった。彼女は言った:「父は アル中でいつも 殴られていた。父にも男(夫?複数)にも殴られていた。」まるで 天気が悪いとか良いとか言うように淡々と話した。息子マヌエルについて「厳しいことを 言うようだけど、もう何の愛情も感じない」。

 しばらく間をおいて付け加えた。「ペットを飼っていて今はペットのために生きてます」

 永続的な準拠人格(特定個人の人格形成において 規範・準拠の役割を果たす人物)(レファランス パーソン)のもとにこの少年を 置くのでなく、この子を 移動サーカス団に入れたのではないかとハンブルク市議会の 議員は言う。

 マヌエルの弁護士は 言う:「役所は この少年を 幼い頃から拒否してきた。彼を 助けないで 管理しただけだ。そういう無思慮がマヌエルのような犯罪者を生む」。Stephan襲撃事件によって 彼は2年の刑に服する。事件からもう1年以上たって 刑期はあと1年。母は 面会に来ない。50ユーロ(1ユーロ=160円)を送ってきた。侘しい面会室で 記者の問いに 答えてくれた。人生で何がうまく行かなかったか? という問いに答えた:「母はいつも働いていてヒマがなかった。いつも 男を取り替えていた。いつも殴られた」「将来の計画って? 十年たったら、娼家を開きたい。堅気の道はもう 行けない」

下記サイトから:
Manuel war neun, als seine Mutter ihn ins Heim steckte.

 


 管理よりも愛情を必要とした措置児童だが、たった一人の大人に集中させない行政としての対応は、心を殺してゆくものだと感じる。この子どもがたった一人の大人から愛されているかどうかが問題で、生んだだけの親がいる事が重要事項ではない。
 
 でもマニュエルには愛着の観点から見れば実親がいる。その実親の抱える問題と彼の問題が混同されているフシがある。ここまでどうにもならない親なら、里親家庭が順当だろうに・・・。

 たった一人の大人から愛される事を経て、たった一つの命がいかほど大事か知る事ができる。堅気の道を歩けないという気持ちは痛いほど理解できる。自分がどうなっても誰もその事を知らない人間関係は、自分だけじゃなく社会の中にいても、罪を犯しやすくする。


|  養護施設にいる間の問題 | 10時04分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

いや、PCのせいじゃないです(汗)


 ごめんなさい、移した時のわたしのミスです。文字を削りすぎたところが一箇所あったのですが、後で全部見ようとしてそのままでした。★印でも付けておくべきでした。ありがとうございます、せっかく貴重な文書を訳してくださったのに失礼しました。
 
 ところでこの記事を読んでいると気持ちがトリップします。この少年の雰囲気が、そのまま、施設にいた少年達の雰囲気をかもし出しているかのようで。

 施設の外に出ないと施設という世界が見えないです。 誰も心配する人がいない状況を幼い頃にインプットされれば間は、衝動的な行動を止められないのかもしれません。その後、出会いがあっても大変難しいと感じました。

| レイ@ありがとうございます | 2007/10/12 21:27 | URL | ≫ EDIT

訂正

上から22行目「やとった」は 「殴った」が 本当です。
パソコンは 時に 狂うことが あります。
読んで 分からなかったら、間違いだと 思ってください。

| jtw | 2007/10/12 20:47 | URL |














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