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新しい世界観を教え続けること、瑣末なことを定義しなおすこと

愛着障害・無愛着

 自分は自分の意思でこの馴染んだ施設の感覚を採用して生きているのだと信じていたが、それは、結局のところ、施設で育ったことを完全にを否定し切れない自分の意識が邪魔をしているに過ぎないと知った。

 いつ頃から1人で歩き1人で自己完結するようになったのかは知らないが、少なくとも幼子が固定された育ての親をそこまで必要とするとは知らなかった。全ては自分の感覚とすり合わせて物事を考えるので、子に親が必要であるとは到底思えなかった。又、大人も子を必要としているとは知らなかった。

 乳児院・養護施設にいる状態というのは、寄る辺なき子ども達が、誰も引き取り手が現れなかった結果を受けて入所の年数を刻む日々だ。施設で齢を重ね続けるという事は、それだけ捨てられていた時間が重なり続けるという事だ。
 
 その施設をふるさとと思う事は、寄る辺なき自分が収容されていた施設をふるさとと思う事であり、寄る辺なき自分を肯定する事になる。誰からも引き取られることはなかったがそれをバネにして、泣かずに、負けずに、言い訳にせずに生きるという宣誓を聞かされるたびに、

 ああ、やはり施設は施設だ、施設から出してもらえなかった人間の鬼気迫る誓いだなと感じる。

 その施設育ちの感覚や価値観に立ちはだかるのは家庭育ちの人の感覚と価値観。それらに対峙して、自分が持つ定義を洗いなおしている時に、乳児院での甘えたいさかりや、施設は家庭、施設はふるさと、と言われてしまうと、わたしは又エラーを吐き出して、家庭で暴れて(価値観の混乱)、家庭生活を否定してしまう。

 職員も家庭育ちのフィルター越しに指導するから、子ども達に、自分が言わせたい言葉を言わせる。施設を否定する言葉など一切聞きたくない。少なくともこの施設にいて良かったと子ども達に言わせたい、聞きたい、そして何かを満足したい。

 明らかに問題ばかりの施設でも、そこにしか自分の過去がないから、ふるさとだと言ってしまう。

 わたしは「○○学園は永久にあり続けてほしい」と言い残してその施設を卒園した。今は、過去へ戻ってその言葉を言う前に、自分をぶん殴りたい。

 自分には施設しかなかった。家庭になりようもない施設は、施設としての機能も足りなく、ただ収容しているだけ。いたずらに時間は経過し、里親委託への日々の努力もせず、施設の運営難に陥ったりした時に、不良になってしまった少年達を里親は引き受けてくれないとこぼす。

 里親が子を待つ間に高齢化していくという。里親は何も施設で育ちきって心が空っぽな年長児を委託したいわけじゃない。彼らはごく普通の家庭のおじさんやおばさんなのだ。彼らは生まれたばかりの、乳児院や施設の手垢(言い方が悪いけど)が着く前の、本当に心に色んな癖の付く前の赤ん坊を求めていると思う。

 そしてそれは、固定された愛着関係という観点からは大事な問題だと思う。施設をふるさとと思うようになってからでは、もう出会いはあったとしても非常な困難を伴うのだから。

  

| └ 愛着障害・無愛着 | 08時05分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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