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直視せず避けてきた自分の中に潜む嫉妬心

整理中の課題&記事

応援とは遠すぎる気持ち


 わたしは自分の事と切り離して里親制度を応援していると書いたけれど、表現が足りないと思うので更に掘り下げようと思う。

 わたしは施設から出て行ける子を直視できなかったのだと思う。直視しなければ情報を取り込む事もなく、いたずらに心を刺激する事もない。祝福していたのではないし、嫉妬心を持っていないのでもなく、諦めざるを得ない自分の立場では、直視しない事が自分を守る事でもあった。

 親の居る子たちを直視せず、心も動かさずにそっと施設の日常を続ける事へ逃げていたのだと思う。自分とは関係ない世界の子がその子の世界へ戻っただけの事だと思う事で、自分と親のいる子は違うカテゴリの世界で生きているのだと、自分の気持ちをなだめながら生きていた。

 施設に残り続けるという事は、施設から出ていける子を見送り続けた歴史でもあるのだけど、そういう事実を考えたくなかった。施設には捨てられた子も、短い期間預けられた子も混在して生活している。たとえ姉妹のような感情を持つ程に親しくなっても、その子の親が迎えにきた時に、はっきりとその子と自分は違う世界に住んでいるのだと判る。
 
 施設の子同士がお互いをけん制しあって生きる無愛着集団生活で学んだ事は、わたしの場合は、親がいる子と自分は違う世界の住人だから、羨ましがっても仕方ないと思う事だった。

 Mariaが「庶民が王族に嫉妬しないのは、全く違う次元の話に嫉妬しても仕方ないからなのよ」と言っていたけど、わたしも、施設から出て行ける子の後姿を見送る事もせずに、淡々と生活を続けていた。人は人、自分は自分、家庭の子は家庭の子、施設の子は施設の子と、いつも振り分けていた。

 でもその習慣が身に染み付いているので、人に嫉妬して困る事はなかったけれど、誰とも絆を作らない性質になるのを止められなかった。あまりにも静かにこのような心を鍛え上げてしまった時、施設全部育ちは、今度は自分だけの相手が現れた時に、その事に気づかずに、全て関係性をぶち壊してしまう。

 これが施設にい過ぎて、見送り続けた後遺症なのだと知るまで、かなりの時間を必要とした。捨てられた事までは整理出来ても、その後、子ども時代誰も現れなかった事を認めたくなかったのだと思う。

 自分が1人で歩き生きるのは自分の選択だと思っていたが、自分ではどうにもならなかった選択肢の無かった過去を直視できずにいるから、自分の事とは切り離さないと里親制度を応援できないのだと思う。

 そういう事で、わたしは逃げてばかりだという事を認識しとかないとダメだなあ・・・と感じる今日この頃です。

 

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