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わたしの思考をわたしの支配下に置く権利

養護施設にいる間の問題

 関連記事 退所後レジュームからの脱却、自分探しの戦い ← この記事への拍手感謝、おかげで過去記事掘り出せました♪
 
 わたしは過去の育てられ方を再検討して、再構築したいと思っていながらも1つつながりの文字列に囚われてしまいやすい。だから日々記事を書いてマインドコントロールを抜け出そうともがいていた。それなのにわたしの僅かな記憶の断片から、何か過去の出来事について「施設は永遠だ」と言ったわたしの言葉を、疑いうる事象を(鈍磨な心情のひだから)検索し、思考をめぐらせている時、

「わたしは愚かで地味で暗くて誰も(その言葉の信ぴょう性についても)相手にしない女だ」という言葉がふいに現れ、ごく当然のように、わたしの自ら考え始めようとする努力に釘をさす。

 それじゃ言わせてもらう。
 成績が悪く「愚かな者」は思考してはならないのか?
 成績が悪くても愚かでも、愚かなりに思考している!

かぼちゃ2



続きはここから
 
 わたしの中には監視者と指導者と集団の目というものが常にあり、監視者が指導者に耳打ちをする、やがて広場に呼び出され、集団の目の(見守る)中で、自分が過去を探る(とされる)逸脱行為について、必死に弁解をし、反省の言葉を口にさせられるイメージでいっぱいになる。

 反省の言葉は単なる模写のようなもので、幾人かの自分以外の反省させられている子の姿を丸ごとコピーしているのだと(想像)できるが、夢の中のわたしは、その場に相応しい言葉を述べる為だけにその場に鎮座し、全ての悪さ、問題行動について裁判を受けてしまう。そしてその場で述べられている「問題行動」「悪さ」を具体的に考えず、たんに自動的に罰を受けていたのだと思う。

 とはいえ「自分を責める内に住む指導者(支配者)と監視者(集団の中の偵察の人)と集団の目(衆人環視)」を意識したオキテが瞬時に心の中の電気信号によって処理されると、わたしはパターン化した行動しか取れなくなり、思考回路は完全にわたしという中枢から離れた遠隔操作を受けてしまう。
 
 そのような状況をわたしは心の片隅で「マインドコントロール下に置かれている」と思う為には、考える為の環境と意識が足りなかった。

 だから、自分の思考を支配下に置く手立てを持てなくて、延々と「施設よ永遠に」と当てもなく言い続けるロボットになっていた。もしロボットじゃなければ、自分の意志で施設が好きな理由を語れると思うから。

 わたしは、施設を出る時に「○○学園は永遠です、園はわたしの心にあり続けます」と言い卒園したのに、でもその言葉を紡がせた意志は本当はどこにも見当たらない。なぜならわたしは本心を叫んだのではなかった。だからわたしは、あの独特な空間で、
 
 「この学園は永遠です」と叫ぶ以外になかった。
 
 しかし、今のわたしは違う。わたしはわたしの意志をわたしのコントロール下に置く事ができるのだと知った。自分の過去探しをしているさなか、かつての職員は言った。

 「お前は昔はいい子だったのに、大人になってグレた」と。
 
 わたしは「職員言うところのグレた状態」なのだろう、でもわたしはわたしの意志をコントロール下に置き、本当の意味で発言や行動に自己責任を持つ為の布石を敷いた事になると自覚している。

 それを「グレた」というのなら勝手にそう思え。

 いくつもの条件を刷り合わせて今のわたしがあるという事に気付きつつある。わたしはわたしのコントロール下に置いた意志の元、さらに作りなおしたい。

 日向ぼっこの言葉の羅列はわたしの心の中にいる指導者に似ている。彼女が施設の当事者代表として自らの意志で考え尽くした結果、あのような資料になったのか、そこが気になる。考えつくした人なら、わたしやMariaに反論する。自分の考えをけなされたら誇りを掛けて戦う。何故施設の為に戦わないのだろうかと思った。(煽ってるのじゃなく)

 施設だけで育てられた問題を抱えている人に対して「必要以上に・・・」という言葉を、ワイルドカードのように利用している場所に、施設全部育ちの傷だらけの中卒で親も無く、時に失敗だらけの子が行けると思うのか?日の当たらない子が日向ぼっこができると思うのか? 
 
 そしてさらにわたしがそうだからよく判るが、相手が気持ちよさそうに語る事への怒りがある。そこを自覚&認知しない限り、施設全部育ちの中卒、高校中退、職業高校(頭悪いレッテル)の子等と話はできない。

 誰もが自分の意識を自分の支配下に置く権利がある事を知っている人の統率力がなくては団体は一方的なスローガンの固まりになる。

 ま、わたしも「自由に語る人を羨むヒマがあったら」自分のマインドコントロールを解き、児童福祉版バカの壁を自覚して、何が家庭で育てられない子にとってそもそも必要なのかという思考へ回帰したいと、わたしは思った。

 答えは子どもの利益だけを考えれば驚くほどシンプル。それを複雑化させているものが何なのかを考えていきたいと思った。
 
 #必死の整理途中なので、問題発言があったら指摘願います。ただわたしはダメッぷりも語る事で何かヒントになればと思います。

|  養護施設にいる間の問題 | 09時01分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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