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施設で言われる「孤独癖」について

施設にいる間の問題

 わたしが孤独好きと言われるようになったのはいつの頃か知らないが、卒園生会で、ある元・上級生女子が「お前の趣味は孤独癖だもんね」と言っていた。孤独癖といわれるくらいだから、非常に孤独を好んでいたのだろう。今もそうだし。

 わたしは今でも孤独になる時間を作るのは難しい。孤独になろうとする為には、孤独癖と言われる覚悟も必要だ(と思っている)。

 朝から晩までずっと100人前後の集団生活(施設によっては200人以上~)を送る毎日の中で、自分の時間を持とうとする事が一種の戦いになってしまう施設での集団の子ども達の個のあり方。

 その先輩との過去の絡みは全く事は覚えていないが、会話の仕方や周囲の人たちとの打ち解けた感じを見て『この人はあの時代に大勢の中にいた1人なんだろうな』と把握した。でも集団の子ども達という自分が感じる印象は、集団というキメラのようで、僅かに時々、沸騰するマグマのように、ボコボコと、誰か子ども1人分の個性のようなものが見えるのに、すぐに大勢の中にかき消されてしまって、誰が誰だか分からなくなってしまう。
 
 結局、自分探しの旅というものは失敗に終わったけれど、成長した生の児童養護施設出身者が一同に介する場面に居合わせたことで、わたしなりには、養護施設で育ち切った大人の自分を鏡ごしに発見したような気持ちにさせられた。彼らの振る舞いや感覚を観察する(嫌な言い方だけど)機会に恵まれた事で、自分も何か指摘を受けたような気がする。

 施設で1人になるという事は、大きな固まりの「子ども達」「みんな」という存在から抜け出す為の意志が必要だったような気がする。それが他の子からは裏切り行為のようにも見え、からかわれたり、いじめられたりしやすい。仲間に入れない子、集団行動ができない子と職員からもレッテルを貼られ、1人になるという事が罪のように感じられてしまう。、

 家庭では夫が言うには、最初は親との一体感を感じていたそうだ、そして次に個を意識し、自分の存在を喜ぶ世界観の中でだんだん行動範囲を広げ、やがて、本格的に外へと飛び出していったそうだ。

 それでも夫は、初めて幼稚園へ行った時、今まで親子ピッタリくっついていたのに、急に、それこそ捨てられたような傷つき感を持ったそうだ。だから最初は泣いて嫌がったそうだ。でも背後に親がいてくれると知ると、だんだん他の子と遊ぶようになり、社会生活の始まりのような意識を持ったそうだ。

 施設では子ども達という固まりの中の顔のわからない存在だった者が、ある日、顔を持ち、個性を持ち、その子を識別する為のいろんなパターンを排出しはじめたら、その他の子ども達はなす術もなく、ただ黙り、ただ怒り、どうしていいか判らなくなる。

 それほど1人の時間を持つという事は重要なことなのだと認識している。今思えば、施設で「孤独癖」と言われる行動は「1人になる」という単なる個人的な行動だ。それなのに、1人になろうとすると今でも、ずるい事をしていると思われてやしないか、なんとなく周囲の気配を探る時がある。

何線?

|  養護施設にいる間の問題 | 18時57分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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