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返信:自分の過去を肯定するあまり同じ過去を他の人に投影する

スタンス

日向ぼっこ代表様

 本当は公開質問状への返事を待っていたのだが、その返事がまだないので仕方ないから、この間のTBされてきた記事への返事をここで細々返す。言葉が「です・ます調」ではなく「だ調」で申し訳ない。ケンカ売ってるわけじゃないのだが、一言念のため断りを入れておく。



日向ぼっこ:過去は変えられないから・・・

以下引用

私が「第1回児童部会社会的養護専門委員会」で意見させていただいた時に「施設で生活していたことと今の気辛さを必要以上に結び付けている現状がある」といった発言(※文末参照)に関して私が施設で生活する以前に家庭で生活していたがゆえ、施設のことは語れないと思われていると捉えました。

そう思われることに関して残念ではありますが
、レイさんがそう思われること自体を否定したり反論したりする気持ちはありません。
色んな意見があり、色んな人が意見を言い、それが政策や援助の改善に繋がればと思っています。



コメント

 わたしは「養護施設だけしか過去がない」者が、今の生き辛さを語る時に過去からの育てられ方を検証・再検証する事を「必要以上」とは思わない。

 更に、

 代表が「施設入所前に家庭で育てられた事」をもって施設の事を語れない(あるいは語る資格がない、あるいは、権利がない)などと言ってるかのように話を持っていかないでほしい。「残念です」と勝手に結ばないで欲しい(汗)。わたし達は施設全部育ちの声も施設出身者の声として載せてほしいと伝えていたのだ。

  わたしも施設に入る前は家庭にいた(ただし一切の記憶がない)。乳児院入所を体験していない。だからといって乳児院の問題を語る資格はないと思わないから、日々記事を書いている。しかし、乳児院にいたかつての子どもの声の代弁者ではないので、その体験を持つ人の話を黙って聞く。

 わたしは施設から高校を出た。だからといって中学で卒業していった子ども達の事を語れないなどと思わないから、施設で全部育てられて中学を卒業した子ども達の事を書いている。しかし中学で施設を出た子どもの声の代弁者ではないので、その体験を持つ人の話を聞く。

 だから、代表が、施設に入所する前は家庭にいた事を持って、施設の事を語る事をけん制するつもりは一切ない。だけど、気になる表現については問いただす姿勢を持っている。

 上記の事を踏まえて、わたしなりに返事をしたい。


 
私が「必要以上に」という言葉を用いたのは自分自身に対してもその傾向を感じるからです。

父にされたこと・見せられたこと。
母にされたこと・言われたこと・聞かされたこと、されなかったこと。
施設の職員にされたこと・言われたこと、されなかったこと。
そして、これらに方向付けられて歩んできたそれまでの私自身の人生。

自分の上手くいかない面を過去のこれらに結びつけると、自分のことを幾らでも割り引いてしまえます。
それをすることは結局、自分が自分の人生の主人公であることを放棄してしまうことと同じです。



コメント

 わたしは、

 乳児院の子どもたちに里親家庭への道を整備する事が大人の自分に出来ることだと(家庭維持+絆づくり+過去を整理しつつ)認識している。

 わたしは過去生き延びたであろう自分を否定しないが、子ども時代の全てを養護施設で育った過去を否定する。なぜなら、社会で生きて生活する今のわたしは、接する人々の多くは家庭で生まれ、育ち、家庭で人生をまっとうする生活を主軸にしている事を知ったから。

 施設で全部育ち切った自分の過去を正当化するあまり、子どもが乳児院・養護施設で中学で卒園という名で追い出され、親戚縁者も相談者も誰もいない状態で路頭に迷わせる事をしたくない。

 たとえわたしか家庭で(たぶん)ネグレクトされていたところを「施設があったから生き延びられた事実があるとしても」それをもって「親から捨てられた子どもたちが乳児院・養護施設で子ども時代の全てを育つ事を見過ごす事」はできない。
 
 「自分の人生の主人公である事を放棄する、しない事」と「今、乳児院にいる子ども達が家庭で育つ権利を発信する事」は、わたしは別の分類としている。

 なぜなら、自分の叶えられなかった何かを追及すればするほど、理性から離れてゆき、本来子どもには家庭が必要であるというシンプルな回答が得られなくなるから。

 人それぞれの過去への向い方までわたしは言及しないが、大人であるという事を意識すれば、相対的な立場の子どもの将来へ向けた最善の利益に繋がる発想をもてるかどうかという事だと思う。



過去の事実はどんなに努力しても変えられません。
捉え方を変えるしかすべはないと考えています。
その「自分自身を不幸にしない捉え方」が施設で育まれればと思います。
そして、施設職員が単なる「ケアワーカー」ではなく「援助者」であるのであれば、それこそが彼らの大切な仕事だと私は思います。



コメント

 職員から叱られているような文言だという感想を伝えておきたい。これを書いている代表は「自分自身を不幸にしない気分」でこれを書いているのだろうかと他人事ながら思った。

 わたしは、職員が単なるケアワーカーでさえないと思っているので(主観)施設に実家機能という追加機能が装備されたら養護施設だけで育てられる子どもが家庭で育った事になるなどとはいくら何でも思わない。

 これからもこのスタンスは変わらない。
 それでは。

| └ スタンス | 09時14分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

そうね、きっと星のせいじゃないね

 Maria、わたしはずっと思っていたよ。不幸な星の元に生まれたとは一度も思った事はなかったけれど、不幸な行政の下にあると思った事はある。
 
 もちろん、子ども時代は知らなかったこと。わたしは情報を色んな人に沢山見せて、選択肢を増やして、情報の孤島にしたくないとも思ってる。
 
 そのわたしの望みに叶う、素晴らしい理数系ソウルメイトのあなたやWolfに感謝している。わたしは数学の成績が悪いの。感謝。

 わたしにとっての不幸とは、情報がない事だと今、判った気がする。情報を上手に使う事は自分の課題だとして、全く何を根拠に考えたらいいのか悩むまでの長い道のりを考えると、施設育ちの塀の中の生活をとてつもなく、哀しいものだと捉えている。

| レイ | 2007/11/06 09:53 | URL | ≫ EDIT

施設で育つ不幸な子どもは、作り出してはいけない

 「自分の過去は不幸であった」と正しく認識しなければ、他の子どもたちを不幸にすると思うのよ。

 虐待を受けた育った方が、「あれは虐待ではない。しつけなのだ」と過去を誤って認識するから、虐待の連鎖は無くならないの。

 そして、施設を肯定する方の連鎖も無くならないの。

 いまを努力すれば、過去の不幸は関係ないとする捉え方も、間違っている。過去の不幸を克服するには、いまを犠牲にしなければならない。
 本来なら、楽しんで生きるべきいまを、過去の克服のために費やす。

 でも、それが出来る人はまだいいの。

 養護施設で育つという不幸な過去を、いま施設にいる子どもたちに連鎖してはいけない。

 Leiちゃん、あたしたちの発信は、自分の過去を否定しているようにとられかねないけど、乳児院・養護施設の子どもたちの未来を変えるための発信なの。

 不幸な子どもは、これ以上作り出してはいけないの。がんばろうね。

| Maria | 2007/11/04 10:45 | URL | ≫ EDIT














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