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迷宮:家族というものが延々と繋げ続けているもの

コラム:横溝文学のような世界

 メンタル部分を考えるのは苦手だからと明るく強くたくましく、まあ人から影で言われていた愚鈍なまでのバイタリティで生きてきたが、やはりそうも言っていられなくなった。

 結婚というのは相手の家庭を丸ごと背負う事でもあり、自分が相手の家庭へ迎えてもらうために何も考えずに居続ける事ができるかどうかが、嫁としての条件の一つ(全部じゃないが、自分の結婚した家の暗黙の条件に見える)。
 
 ところでこの部分を考える時に気をつけたい事がある。それは、素直ないい嫁として存在する事と、施設時代に問題のない良い子だったと言われていた事をごちゃごちゃにしたくはないという事。「これは」別カテゴリの問題だと強く思う。その理由は、家庭での良い嫁の条件と、施設での良い子の条件が明らかに違うからだ。

 良い嫁は役割というものがあれど、愛着の力を強く婚家から求められる。その愛着の強さが嫁いだ先への嫁の貢献の高さと比例していると、彼らは思っているので、まずはこの家をとても好きで愛着を持たなくてはならない。家庭だけが人生の全てだった姑などを見てそう思った。

 養護施設では愛着の力は求められない。同じ建物に共棲していても問題さえ起さず、集団行動の点呼の際にきちんと顔を見せ、必要なことをしていたら、その空間や人への愛着を求められる事はない。

 家族間の、人間の距離が近く一族であるという繋がりをもって、全てを一蓮托生として考える家庭の構成員の愛着の力に驚きっぱなしでもあるが、同時に、この感覚は外からやってきたわたしにとってはやや恐怖に近いものに感じる。延々と繋げ続けてきたもの、内々に抑圧してきたもの・・・。
 
 施設の、関係性の全くない互いが同じ建物に住んでいるという体験が、同じ屋根の下に住む家族という結びつきへの互いの依存?を、どこか白けてみてしまう自分がいて、そこが冷たいと言われるゆえんだろう。

 だからわたしは、仕事をやめてからどうも鬱々としやすかったのかもしれない。夫は「家庭は割り切れない世界、白黒付けられない世界だ」と言うが、わたしの目にはこの嫁いだ先の家の細かな事までがシロとクロでしっかり分けてしまう。理屈でどこまでも突き詰めたら回答を簡単に出せてしまう。

 反対に白黒分けられなくなった時、わたしは何も考えなくなるのかもしれない。家庭で生きるにはその方がいいのか。

 この脳の働きと、家庭生活にうまく馴染めない事も自分の目下の課題。施設にいた頃の迷宮探検のような毎日とは又別の、横溝文学にも繋がるような長い家族の歴史というものへ身を置いている自分を、毎日鏡越しに不思議な気持ちで見ている。

nyanko1


 家庭というものと施設というものは全然違うカテゴリの問題をはらんでいると、尚更強く感じる昨今である。だから「家庭も施設も、どこであろうが」と一緒くたにできない。それどころか、家庭を知れば知るほど、こんなに自分の知る世界と違う世界なのかと驚いている。

| └ コラム | 06時33分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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