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日本の児童養護―児童養護学への招待

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日本の児童養護―児童養護学への招待 日本の児童養護―児童養護学への招待
ロジャー グッドマン (2006/04)
明石書店
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セブン&Y' http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31693075


参照元 福祉関係者のホームページ

福祉関係者のホームページ>福祉関係者の推薦書コーナー
http://www.asahi-net.or.jp/~LC1T-KYM/noda060629.pdf
kumamotonewspaper 新聞の画像


「日本の児童養護施設」貧しい施設の全体像に迫る
野田正彰氏 レビュー 

熊本日日新聞 平成18年6月

 日本の児童養護施設の実態を知る事のできる待望の研究書が出版された。イギリスの社会人類学者による、参与観察と文化比較の視点を持った児童養護施設についての総合的な本である。

 私は一九九〇年末になって、急に児童虐待が騒がれるようになった事に違和感を抱いてきた。児童相談所の児童虐待処理件数は激増している。九十年に約千件であったのが二〇〇二年は約二万四千件、二十四倍にもなっている。

 子どもの餓死、長期にわたる暴行の限りが報道され、「鬼のような母親」が糾弾されている。しかし、近年に激増したというのは本当か。もともと多くの児童虐待があり、八〇年代の裕福なサービス社会になって確実に増えていたので、無視してきただけでないのか。

 しかも児童虐待は、虐待を受けてきた人が同じように我が児を虐待するという虐待反復説、虐待を受けた人の心的外傷といった心理学的問題に注目されすぎている。臨床心理グループという利益集団の職域拡大の願望が働いているのではないのか、不幸な児童の問題はやはり社会問題であり、福祉の問題ではないのか。

 たとえば東京都による都内十一ヵ所の児童相談所での全児童虐待事例調査(〇〇年)によると、その父親で定職のある者は六割弱、無職が約14%、転職の多い者が9%となっている。不安定な就労、貧困が虐待と結びついている。また親が1人の単身家庭は20%、実父母とその子どもの家庭は45%でしかない。

 虐待された児童が入所する施設について、実態が知られていない。ある養護施設の入浴では、ベルトコンベヤーに乗っているかのようにすばやく子どもの服が脱がされ、体が洗われ、浴槽に入れられ、拭かれ、服を着せられる。浴室がせまく、次の子どもが入れないからである。一歳以下の入浴では、流し台のようなところで汚れた皿のように洗われている。

 職員は子ども相手の激務を長時間努めており、一週間の平均勤務時間(時間外除く)は五十八時間、時間外は七十二時間にもなる。というのも、七六年以来、六歳以上の子ども六人に対し職員1人という最低基準を改定しないからである。

 私たちは虐待する親をののしりながら、私たちのつくる政府が被虐待児を貧しい児童養護施設で制度として虐待しているのに気付かない。あえて知らないふりをしてきた。

 日本の児童養護施設は五百五十施設、定員三万四百五十六人(〇三年三月)となっている。公立施設は一割に満たず、ほとんどは民間であり、同族経営が少なくない。入所児童の人権、プライバシーなどを理由に、直接観察による研究は少なかった。

 社会人類学者グッドマンは、近年イギリスでの「社会的に排除された人々」の研究の流れに加わり、それを日本の抑圧された子どもたちについて行った。日本社会が最も社会的に弱い構成員をどのように取り扱っているのか、東京都のある施設での観察を軸に、広く統計、文献を整理して、その全体像に迫っている。
 
 著者は敗戦後から八〇年代まで変わることのなかった児童養護施設が、九〇年代初頭より劇的に変化したのは、急激な少子化、国連子どもの権利条約の批准、そして日本社会が児童虐待を発見したということ、この三つによると考えている。

 つまり、少子化と共に、親のいない子どもを受け入れる児童養護施設は減少するはずであったが、子どもの権利条約の批准という外の目が導入されることによって、日本にも児童虐待がある、しかも急増していると「発見」されたのである。


 そして今後も、同族経営による児童養護施設、貧しい施設を補完する擬似ボランティア制度、役人が職員を努める児童相談所は協働し続けるであろうと予測している。児童福祉を学ぶ学生や職員だけでなく、日本社会の構造やゆがみを考えようとする人にとっての必読の本である。




コメント

 新聞記事の写真をテキスト化してみました。この新聞を読んで慄然としたのは「世界の外の目を意識した結果、日本の家庭での虐待を次々に発見し、児童養護施設送りになっていく子どもたちが増えている」と読めてしまった事。そしてそう読めてしまったからといって、虐待を家庭で受けている子どもの事を考えたなら施設否定、施設不要と簡単に言い切れない事、その為に、施設全部育ちの自分は施設にいさせられ続けた気持ちをうまく言えなくなりそうだった。

 それでも、家庭から一時期切り離してその安全を確保しなくてはいけないという。その結果施設はいつの間にか更に増えている・・・。

 わたしは虐待を受けてない施設育ちと自らを表現する理由の一つに、上記引用部分の中の下線の文章と同じ懸念を感じるからでもある。わたしの中では虐待を受けたかどうかをさらに越えている問題、集団的な育児空間に身を置かされ、愛着もなく育てられる環境そのものについて深く憂慮している。虐待されていない事が何の気休めにもならない世界がこの世にはあると言いたい。でも虐待があってはならない事は当たり前の事だが。
 
 ただ今の児童養護施設は、虐待された子どもを家庭からかき集めてくるものの、それより先は何のケアもない(主観)。子どもが育つ場所とは思えないのと同時に虐待された子のケアが成されているわけではない、そこでの更なる虐待にあう子ども達もたくさんいる。

 そしてたとえ虐待が無くともベルトコンベヤーの生物として、次から次へと引き渡される構造の中で、アフターケアのない既製品のように運ばれていくと思ってた。そのような感覚をまく言葉に出来なかったが、野田氏のレビューに驚かされた、でも実は研究者の間ではとっくに自明の理なのだろう。

 最近、児童養護施設出身者の当事者という元卒園生たちの声が強くなっていると感じる。自分のような者とは違う。

 施設を出て高校・大学までの道を繋げ「努力すれば道は開ける」というメッセージを出し続けている施設出身者たちである。それなのに、中学を出てボロボロになって消えて行く子どもたちの声はピックアップされない。すでに養護施設全部育ち同士までもを、互いにイメージ戦略の手足に使われそうな、嫌な予感を覚えている。

| 気になる本のCLIP07 | 09時48分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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