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集団生活の縛りと放置の狭間で自由に生きること

メンタル整理作業

わたしの思考の原点

 人間の記憶の仕方は不思議なもので体験を覚えていなくても、無自覚にその世界観を背負ったまま生きている。極端な話、過去の体験の記憶がなくても、自分ひとりですぐにその世界観を再現可能なのだと判った。子どもへの虐待の連鎖というのは、虐待そのものだけじゃなく、子ども時代に身についた世界観を子へコピーする事だ。
 
 心理の専門家が見るとどうなのかは判らないけど、わたしが「ごく普通」と思って行動している内容が、他の人からみれば「おかしい」と言われる内容があれば、今一度自分の思考を考えたい。しかし、今回、かなり危うい作業だと感じた。

 1人で部屋の中でじっと考え込んでいるとだんだん気持ちが行ったり来たりする・・・。

 整理作業もきちんと丁寧にやらないと「養護施設万歳の先鋒を歩く人間」になりかねないと思った。今までそうして来たように「わたしはこんなに真面目に生きていたじゃないか」という怒り、感覚に巻き込まれ、それ以上思考するのがきつくなる。

 それほど、自分は思ったよりもずっと家庭に馴染めず、愛着関係に馴染めず、教条的な世界観にどっぷり嵌りやすいと自覚した。わたしは「放置状態を自由な状態」だという風に取り違えているところがあり、他人に迷惑さえ掛けなければ何をしてもいいし、他人を巻き込まなければ全てOKとしているので、これでは人と付き合えない・・・と感じている。

集団との関わりを絶つ事と副作用

 わたしは確かに他の子をいじめたり虐待をしないように戦ってきたのかもしれないが、それは同時に人との関係を絶つ事でしか叶えられなかった。人をいじめるような関係性しか築けなかった施設生活では、人との関わり全てを絶たないと難しかった。子ども達の状況を整理できる大人は誰もいなかった。事実上、放置されていたような気がする。

 その副作用か、今は人と絆を作ったりする上で必要な愛着形成や関わりを作る事が難しい。人にめいわくを掛けない考えは身についたけれど、人に愛着を持てない事で身近な他人に迷惑を掛けている。

 日常生活全てが集団生活の養護施設。その頃の雰囲気が自分の生き方を肯定させようとして、甘く今の自分を包もうとする。

・・・だから

 思考を整理するのはいいとして、時にあまりに考えすぎて自分の考えへ潜行し過ぎるとミイラ取りがミイラになるような、つまり、その考えを見つめ続けているうちに、今が何時なのか判断がつかなくなる時がある。上記の「他人にめいわくさえ掛けなければ何をしてもOK」という考えは集団生活の縛りであり放置だと思う。それが自分にとって一番優しい世界だと感じている限り絆を求める事も、ぬくもりを求める事も必要と感じないだろう。 




わたしのホントの課題 

 わたしは一歩間違えると、子どもを育てていない施設出身者男子と同じような状況なので、彼らの家庭から逃げるような姿勢を批判的にみながら、自分も同じような姿勢である事にも気付いた。

 施設男子は家庭を持ち、子どもを作っても、自分が親になった実感が薄いのだと思う。でも家庭で育った男子は、自分が育てられた結果を受けて子育てをする事ができる。もちろん施設女子の場合も、子どもを生み育てる事で、捨てられていた過去が丸ごと自分の心を刺し続けるのだが・・・。わたしなどは子どもを作らない事で、決定的な絆を作らない事で全て面倒な事から逃げている。

 でも施設男子は放置=自由だったので、家庭に縛られる事ができないと想像している。女子が子育てから逃れられずに、捨てられた事実に向っている間、男子は逃げ続けている人が多かった(全ての男子ではありません!)
 
 今のわたしは、子どもを育てていないという点で、結婚して子どもを作った施設男子よりもさらに施設的な思考に縛られるリスクが高いと感じ、思考を分析する時に注意しようと思う。

| ├ メンタル整理 | 23時11分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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