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遠くの明かり:他の里親子の番組をくり返し見続けるある里子の話

コラム

出会えた子、出会えなかった子…
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-201.html
NHKスペシャル にっぽん家族の肖像 第6集 僕の家族~里親・里子の12年~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/071126.html

 
 Mariaのところで告知していたNHKの番組を録画した。人から頼まれた録画なので確認作業を兼ねて見てしまった。

 前日、わたしとMariaはそれぞれに「施設の子は誰とも出会いがなかった」という観点からの記事を書いたばかりで、その記事の影響が多少残る中、この番組は、自分が所属できなかった世界を、外から窓にへばりついて覗き見しているような気分にさせられた。自分のような子が見てはいけない世界を見てしまったような、おなじみの感覚・・・。

 そういえば、養護施設を出たばかりの頃、就職の為、普通の家庭へ下宿をした時に、トラブルの為に下宿先へ帰れなくなり、暫くの間は、仕事帰りに路上で寝泊りしていた時の気持ちを思い出した。路上の暗闇にうずくまり遠くの家々の明かりを見るのが好きだったことを思い出した。

 どの家々にもやわらかい、あるいは白々とした灯りが点っていた。
 その家の子どもは、路上の暗闇にうずくまった事があるかしら?と思った。
 最後は、路上もこれはこれで良いもんだよと思いながら植え込みで寝入る日々だった。
 昼間温められたアスファルトが母なる大地だった。

 あれから遠くの明かりは、常に遠くの明かりでしかなかった。

 でも昨日、出会いを経た里子の男の子が、他の里親子のドラマ仕立ての番組シーンで、おばさん、おじさんとしか呼べない女の子が、里親から『おかあさんと呼びなさい』と注意されているシーンを何度も見ては「ここ、ねえここだよ」と自分の おかあさん に伝えようとしていた場面を興味深く眺めてしまった。彼はすでに おかあさんという言葉を獲得しているのに、どうしても確かめたいのだろう、もう一回ドラマのように、ねんを押されたいのかな。

 そして同時に、おかあさんというのは、自分のことを思いを込めて育てている人のことを表現するのかもしれないと思った。

 里子は里子なりに里親へ向けて思いを出しているとも思った。思いの伝え方はその子それぞれに違うと思うけれど。他の里子のテレビ番組での表現を借りて「ほら、ここだよ、これだよ」と伝えようとする、彼のその様子は、わたしには到達できない領域のピュアを見つけた思いだった。

 愛されて育った子は複雑な言葉を弄しなくてもとても哲学的だなとも感じた。わたしは小さい頃からテキストに頼り、テキストを読み、生身の生きた人間からは何も学べなかった穴埋めをがんばった。なのに、がんばって生きてきたわりには、ピュアじゃないことが後ろめたい。けど、まあ生き抜いたという事で、動物的にはまあいいやということで。

 マッチ売りの少女の灯した明かりの中の幻影じゃなく、実際は、愛されて慈しまれる世界がこの世にあり、それを幻として遠くに追いやるのじゃなく、捨てられた子ども達が、その世界を確かなものとして手に入れられるように、今、乳児院のベッドにいる子ども達にギフトとして届くように、自分の気持ちを乗り越えて、伝え続けていきたいと改めて思った。
 
 スローガンがいつか、段階を経て何か気付いた時に、獲得できた心で本心を添えたメッセージとして、伝えられる人になりたい。

 元里子が誰も里親家庭の事を語らない中で、施設全部育ちのわたしとMariaが伝える事は微妙にズレてるかもしれないけど、でも、選択肢がある、可能性があるという事を知った以上、一生懸命伝えるだけ。わたしとMariaのような施設全部育ちが立ち向かうには、あまりに遠すぎるけど・・・。



| └ コラム | 05時52分 | comments:11 | trackbacks:0 | TOP↑

そうですね

 jtwさん、コメントをありがとうございます。里子と直に接している里親さんならではなの貴重なご意見ですね。

 二人目の里子君は1歳から10歳まで施設で過ごしました。彼は親戚の人に「小学校へ入ったら上級生から苛められ 殴られて泣いたら 泣くなと言って又殴られ 先生に訴えたらチクッタと言って又殴られる。結局 殴られても黙って耐える。自分が上級生になる下級生を殴ることになる」と言ったそうです。

 わたしにとって、こういう世界を虐待環境であるという事さえ、なかなか理解できませんでした。これが施設じゃなく家庭で行われている事なら虐待で通報されてしまうのに。

 それが養護施設では虐待にならず、何気ない風景に溶け込んでしまうのです。そして施設しか知らない子は、無自覚に同じ事を下の子へ連鎖する。

 施設は連鎖地獄です。誘爆し続ける地雷原のようなものです。でもその話を施設出身者自身がおぼつかない心で語ると拒否反応を示すので、だんだんみな、語れなくなります。

 養護施設出身者にとって、世間もけして安全にモノを言える世界ではないのだと、諦めそうな気持ちになりますが、なんとか継続していこうと思います。

| レイ@jtwさんへ | 2007/12/01 18:59 | URL | ≫ EDIT

多くの人は児童養護施設の中は暴力的であるということを
信じにくいのだろうと思います。
二人目の里子君は1歳から10歳まで施設で過ごしました。彼は親戚の人に「小学校へ入ったら上級生から苛められ 殴られて泣いたら 泣くなと言って又殴られ 先生に訴えたらチクッタと言って又殴られる。結局 殴られても黙って耐える。自分が上級生になる下級生を殴ることになる」と言ったそうです。
施設は 子どものお陰で運営費が役所から回ってくるのに、子どもの声を聞かない。親も何も言わない、というより そもそも 親は居ないか 養育を放棄しているので 親が施設に苦情を言ってくる心配はないと、施設は思い込んでいるかのように思われる。

| jtw | 2007/12/01 08:54 | URL |

無知の涙VS荒廃のカルテじゃなくって・・・

 あの。

 荒廃のカルテに似た状況を、ある施設出身者男子から感じた事が数回あったので、後で記事にしますね。それとは別に、

 せめて施設に保護されたならという真摯な思いを否定はしないけど、その子が保護先で何をするかについては、恐らくその世界の体験者でなくては、理解しづらいでしょう。

 養護施設は、虞犯、被虐待児、元被虐待児童の職員の怨念うずまく場所だと捉えています。

 もこさんの想定外の場所もあるという表現でしか、わたしはうまく答える事ができません、ごめんなさい。わたしとMaria、他の施設出身者がやっているのは、まずは言語化、文章化です。
 
 あわせて荒廃のカルテもお読み下さいませね。




| レイ@元受け入れ先の児童 | 2007/12/01 04:42 | URL | ≫ EDIT

ありがとうございます

貴重な ご意見ありがとうございます。 人と人が わかり合うのは、困難なことですよね。同じ価値観で生きている訳ではないので、ある意味 分かり合えなくて当然だと思います。
この度は、私の素朴な疑問や意見に真摯に お答え下さいまして有難うございました。私は、今後も養護施設で暮らす予定も機会もありませんが、施設で暮らす子どもたちの 幸せを願わずにはいられません。
マリアさんも 子どもたちの健全な命を大切に思う貴重な お一人なのですから どうぞ そのお気持ちが、一人でも多くの子どもを救う力となられますことを願うばかりです。

| もこ | 2007/11/30 23:27 | URL | ≫ EDIT

もこさん、

>施設で育つことが「幸せ」とは思いませんが、家庭で虐待を受けて虐待死寸前の子どもを救う為の居場所が、安心して暮らせる養護施設である<u>なら</U>、家庭で虐待され続けるよりはいいと思ったのです。

 あたしたちは、家庭で虐待を受ける子は、まずは家庭での虐待をなくすための支援を行うことだと思っています。
 そして、それがダメな子は、セカンドファミリーで新しい親子関係を築いて欲しいと願っています。親子関係のゆがみは、別の傷つけ合わない親子関係でしか修復できないと思っています。残りの子ども時代を全て施設で過ごすのは、問題を将来に先送りするだけで、なんの根本的解決にはならないと思っています。
 
 ですから、「安心して暮らせる養護施設である<u>なら</u>」という仮定の話以前だと思っています。
 
> 私は、施設で育ったことも、里親に育てられた経験もないので「かもしれない」としか表現出来ませんでした。 それを、針で突き刺すような言葉で指摘されることも 結構 傷つきますよ。
>それ以上に 私が傷つけてしまっていたのでしょうか?

 挨拶もなしの突然の言いがかりとも思えるもこさんのコメントは、不快には思いましたが、傷つくという概念が理解できません。
 施設では、この程度のやりとりは日常的で、「傷つく」といわれたら、「養護施設で生活するのは止めた方がいい」としか言えません。これで、遠慮してコメントしているつもりですわ。
 そもそも、「ブログのテーマ」にも書いてあるとおり、養護施設だけで育つことの問題をテーマにしたブログであり、家庭虐待で育つことと養護施設だけで育つことと、究極の選択を突きつけることの意味も必要性も無いと思っています。

>養護施設で育つことは、そんなに 不幸だらけなのですか?

 はい、不幸なことだと、社会に出てから気付きました。
 
>養護施設は、どこも 暴力ばかりなのですか?

 他の世養護施設は知りませんが、あたしの知っている二つの養護施設は、全てそうでした。残りの556ある養護施設が全て暴力のない施設だったとしても、あたしには、全く意味がないことです。

>養護施設の職員は、悪い人の集まりなのですか?

 養護施設を出た子どもが、社会的に自立できずに精神病院に入ったり、自殺をしたり、犯罪を犯したり、ホームレスになったり、その子どもが再び施設に入ってきたりする例が少なくないなかで、職員が悪人であるか善人であるかという議論は、意味をなさないと思いますけど…

>それも一理あるかもしれませんが、そうでないことや人もいるのではないか?と思います。
>だから何?と云われれば それまでですが。

 たった一人の「そうでない人」がいたと仮定して、「だから何?」としか言えませんわ。それから、養護施設の虐待については、以下のHPをご覧下さいね。

STOP!養護施設内虐待
http://gyakutai.yogo-shisetsu.info/

社会的養護専門委員会への意見書
http://yogo-shisetsu.info/weblog/edward/archives/12.html

 ここによると、
 「平成19年3月末現在、当会が把握しているだけで、8年間で約26か所の施設に対して改善勧告等が出されている。これは、日本の養護施設の4.7%に当たる。
 また、改善勧告等が出されないまでも、施設内人権侵害が発覚した児童養護施設は72ヶ所を上回り、これは日本の養護施設の13.6%(1割以上)に当たる。」とあります。

>最近、「無知の涙」という元死刑囚の書いた本を読みました。
>彼の生い立ちは不幸だったと思います。施設で育ったのではありませんが、
>せめて施設で暮らせていたなら こんなことにはならなかったのではないか?と思いました。

 養護施設を出た方が、女子大生を殺害した事件を取材し書いた「荒廃のカルテ」という本を読んで下さると嬉しいですわ。
http://www.ne.jp/asahi/kotoba/tomo/hana/hana112.htm

 養護施設だけで育っても、無期懲役になる方もいますのよ。
 
>施設を肯定している訳ではありませんが、せめて 肯定できる施設であって欲しいと願うのです。

 それ以前に、家庭内虐待を防止する方策を考えましょうね。
 
>なぜなら 里親の数は 施設の子どもたちを全員 お願いできるほどはいないようです。となれば 養護施設の質を上げて 安心して子どもが暮らせる場所になるよう期待するしかないように感じるからです。

 これも、里親sidoさんの意見書によると、
http://foster-family.jp/data-room/ikensho/20071023senmoniinkai_ikensho.html

 施設の平均在所年数は4.4年であり、施設に10年以上いる子どもを引き受けても里親はあまりあるとのことです。

「残りの5,367家庭(69.6%)の登録里親は、子どもの委託がないままに里親とは名ばかりの存在となっています。(図3)  この5,367家庭の未委託里親は、先ほどの、子ども時代の大半を施設で過ごす3,125人の子どもを引き受けても余りある数字です。10年以上児童養護施設にいる家庭で育つ事ができない子どもが3,000人以上いて、片や、子どもへの熱い思いを持って登録した里親5,000家庭以上が、子どもを委託されずに思いが朽ち、里親を辞めていく現状は、看過できるものではありません。」

 短期間で家庭復帰できる子は、本人が希望すれば養護施設でもいいと思いますが、10年以上施設で生活する子は、全部里親家庭で受け入れて欲しいと思っています。
 
>子どもの権利を芯から考えて、子どもを守る場所が増えることを、願ってやみません。

 親が育てられない子どもの権利は、子どもの権利条約第20条にあるとおり、代替家庭で暮らすことです。残念ながら、日本では、施設で暮らす子どもが9割を超えていて、国連子どもの権利委員会から、子どもの権利を侵害していると勧告を受けている現状がありますのよ。

| Maria | 2007/11/30 22:48 | URL | ≫ EDIT

そうですか

こんばんは。施設で育つことが「幸せ」とは思いませんが、家庭で虐待を受けて虐待死寸前の子どもを救う為の居場所が、安心して暮らせる養護施設であるなら、家庭で虐待され続けるよりはいいと思ったのです。里親で家庭の愛情を受けて育つことは、施設という集団の中で育つよりは 幸せ度は大きいと思います。「かもしれない」発言は不快でしたか?そうであるなら 謝ります。ごめんなさい。 私は、施設で育ったことも、里親に育てられた経験もないので「かもしれない」としか表現出来ませんでした。 それを、針で突き刺すような言葉で指摘されることも 結構 傷つきますよ。
それ以上に 私が傷つけてしまっていたのでしょうか?

養護施設で育つことは、そんなに 不幸だらけなのですか?
養護施設は、どこも 暴力ばかりなのですか?
養護施設の職員は、悪い人の集まりなのですか?

それも一理あるかもしれませんが、そうでないことや人もいるのではないか?と思います。
だから何?と云われれば それまでですが。

最近、「無知の涙」という元死刑囚の書いた本を読みました。彼の生い立ちは不幸だったと思います。施設で育ったのではありませんが、せめて施設で暮らせていたなら こんなことにはならなかったのではないか?と思いました。施設を肯定している訳ではありませんが、せめて 肯定できる施設であって欲しいと願うのです。なぜなら 里親の数は 施設の子どもたちを全員 お願いできるほどはいないようです。となれば 養護施設の質を上げて 安心して子どもが暮らせる場所になるよう期待するしかないように感じるからです。

子どもの権利を芯から考えて、子どもを守る場所が増えることを、願ってやみません。

| もこ | 2007/11/30 21:02 | URL | ≫ EDIT

このブログのスタンスは「心の持ちようの話」からの脱却でもある

 もこさん、はじめまして。はじめての書き込みなら、最初のあいさつがあった方がいいと思いますが。わたしも不躾な人間ですが・・・。

 ところで、もこさんに一言だけ。

 このブログでは、養護施設だけで育った事と家庭生活を知らない問題をを気の持ちようだけで、肯定してきてしまった自分自身の整理作業をしています。

 わたし達が取り上げているテーマは、子ども時代の全てを乳児院・養護施設だけで育つ事の問題を取り上げています。

 どこで育とうが気持ちの持ちようで何かが変わるというあてもない話をしがちだった自分の過去の整理作業をしています。

 なので、家庭の方は家庭の問題に向って下さればいいのだと思います。わたしは家庭の方のブログに行ってまで、もこさんのようなレスを返す事ができません。施設育ちのブログにはしばしばこのようなレスが付きやすいととはいえ、最近疲れを覚えています。
 
 あとはMariaと同じです、失礼します。

| レイ@はじめまして | 2007/11/30 09:32 | URL | ≫ EDIT

 もこさん、こんにちは。

>家庭で育っても 不幸な人もいるし、
>施設で育って 幸せな人だっているかもしれないし、

 この仮定による比較は、間違っていると思いますわ。施設で親(里親)の愛情を知らずに育つのは、間違いなく不幸な子ども時代ですわ。
 施設で育つ「幸せ」というのは、どんなことなのかしら?
そして、全ての施設で育つ子が、家庭で育つ幸せな子と同じように幸せになる方法は施設に居続けることなのかしら?

>里親に育てられることも、もしかしたら いいことばかりじゃないかもしれないし・・

 どうして、悪いことを基準として比較をするのかしら?
「もしかして」という根拠のない論拠がお好きなようだけど、子どものためにならない里親がいるとしたら、その里親を排除できる仕組みがあればいいだけのことでしょう。
 里親制度とは、ロシアンルーレットではなく、愛情を持って子どもを育てることが出来る里親を確実に教育し、不適切な里親を排除できる仕組みがあればいいの。現状がそうでなければ、そう変えていけばいいだけなの。

 お願いですから、根拠のない「かもしれない」論法を止めて下さいね。

>常に今の自分と向き合って 過去を打開していく勇気が必要なんだと思います。

 おっしゃることは、とても正しいと思いますわ。でもね、変えられない過去は打開できないの。
 変えられるのは、現在と未来の子どもたちの環境だけですわ。

 どんなに解釈を変えようとも、施設で集団暴力にさらされて育った子ども時代は存在するし、その環境で育ったことは不幸なことなの。

 もし、過去を肯定する発想に変われば、自分の子どもを施設に入れることを肯定することになるの。そして、悲しいことに、自分の子どもを施設に入れる施設出身者が少なくないの。
 施設の連鎖を止めるためには、施設で育つ過去を肯定してはいけないのよ。

| Maria | 2007/11/30 08:15 | URL | ≫ EDIT

こんにちは

きっと、みんなが わかりあえるはずもなくて、でも わかり合おうとする気持ちが大事なんじゃないかな?家庭で育っても 不幸な人もいるし、施設で育って 幸せな人だっているかもしれないし、その受け止めかたは 各自で違うよね。里親に育てられることも、もしかしたら いいことばかりじゃないかもしれないし・・常に今の自分と向き合って 過去を打開していく勇気が必要なんだと思います。

| もこ | 2007/11/30 07:22 | URL | ≫ EDIT

本心はそう思う


 里子でもない、家庭育ちでもない、それなのに家庭の事を語る。

 それが時々間違ってるように感じられて仕方ない。

 里親家庭の良さも悪さも、わたしは知らない。

 あのテレビのワンシーンだけで、里子の彼は愛情を知らないわたし達よりも強いメッセージを投げかけてくれた。

 わたしは彼のピュアな心に感謝している。彼を向かえて愛してくれている里親家庭に感謝している。わたしが言うのも変かもしれないけれど・・・。でもその世界がわたしになかった事を、嫉妬する勇気もなくて。

| レイ@里子の事は元里子が・・・ | 2007/11/28 07:22 | URL | ≫ EDIT

ふと虚しくなるときがあるの…

 子どもたちを施設ではなく里親家庭で育てて欲しい

 この言葉を、施設から里親家庭に行った子たちが言うのではなく、家庭を知らないあたしたちが叫ぶ。
 「家庭を知らないくせに、家庭の何が判る…」という嘲りの言葉が浴びせられる気がする。面と向かわなくても、裏で嘲られているような気がする。

 たしかに、オール施設育ちにとって、本当に家庭は、子どもにとっていいものなのか判らない。
 だけど、もし、集団養育が家庭に勝るのなら、世界中で家庭が無くなり、どこもかしこも施設だらけになると思うの。

 チャウシェスクの子どもたちと呼ばれた親衛隊も、孤児院の子どもたちで、チャウシェスクを父と崇めて育った。だけど、いざとなったら裏切った。いえ、「裏切る」と言う程の感情のつながりも無かった。

 中国の文化大革命の時の子ども収容所、イスラエルのキブツ、日本以外の文明国の孤児院、全部、無くなった。

 だけど、文明国で、子どもの収容所が残っているのは、唯一日本だけ。

 この収容所列島で生きる子どもたちは、いつになったら、解放されて家庭に行くことが出来るのだろう…

 神の元に、全ての子どもは平等だというけど、あたしは、平等だとは思えない。家庭の子に嫉妬をしない、その為だけに全てをすり減らしている。
 施設で育って良かったというバカ職員もいるけど、負け犬の遠吠えみたいで情けない。
 施設で育ったけど、こんなに愛情溢れる立派な家庭を作ったというなら、判らないでもないけど、情けないから止めて欲しい。

 こんなテレビ、見なければ良かった。
 でも、見なければ、里親家庭の良さが判らない。
 良さが判れば、選択肢の無かった過去が口惜しい。
 複雑な気持ちがとぐろを巻き、あたしをグルグル巻きにする。


 おもしろうて やがて悲しき 里親ドラマかな

| Maria | 2007/11/27 22:35 | URL | ≫ EDIT














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