PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

無愛着な施設児童は優等生ですらない

養護施設にいる間の問題

「優等生」と評価しているのは自分自身

 養護施設では無愛着児童である事は優等生ですらない、無愛着で静かに生きている子ども達の存在を職員自身忘れてしまう。施設では問題児とは愛着行動と愛着障害の症状を起す者なのだ、常に。

 そう、無愛着な施設出身者を真面目な優等生と評価しているのは自分自身。大人になった時に会った職員の「真面目ないい子発言」を自分で育てて、自分で抱えていただけ。そして、自分は忘れられているだけの存在であり、自分も又職員を忘れているという事実を直視しようとしなかっただけ。

 わたしは優等生であるという評価を自分に下して、自分でその評価を後生大事に持っていたにすぎない。わたしにとっての優等生というのは、1人で施設で生きる子ども達の事だったから。

 その後生大事に持っている施設優等生としてのタグが、家庭を維持し続け、絆作りをしている相手に通じるわけがない。

無愛着は人に怒りを生じさせる

 Wolfはわたしの無愛着を非常な問題として指摘する。彼は2人の人と整理作業している、わたしで2人目だが、前の人は家庭で虐待を受けた人だった、しかし、愛着と環境と人への基本的な信頼なども育っていた。だから、Wolfが信頼できる人と知ると、彼女はまるで小さな子のように彼を後追いして愛着を示した経緯を読んだ事がある。

 わたしの場合は、それが全くないというらしい。彼はわたしと接していると「子どもがなつかないので虐待をした」という大人の気持ちが少し理解できるという。わたしは、生まれて初めて、なつかない、というか、愛着を示さないことで、問題児となっているのだ。擬似親子関係を作っているのではないので、そこは大人としても、あまりにわたしは相手に対して無愛想なのだという事が問題視されているのだ。

 だから無愛着を放置している事は、加害者意識のない加害行動とも言える。このような事を大人になってから問題化せずとも、乳児院に居る頃に(わたしはその頃家庭)里親家庭へ引き取られていれば、愛着については里親が丁寧に育ちの中で見守っていけるのだと再認識。
 
 自分の事は何でも自分でやるような依存のかけらもない子どもは、人に依存して生きる生き方を会得する期間に、1人で生きる感覚を会得してしまっている。わたしは、子どもは子どもらしくというのは、そのあたりの事を表現している言葉だと思う。

大家族と施設の集団養育は違う


 よく昔の大家族と施設の集団をごちゃ混ぜにして語る施設職員がいるが、それは全く違う。必然のない集団生活の中に知らぬ間に投げ込まれ、どこの誰か判らない者だらけの集団。それを昔の大家族と同じというのは乱暴すぎる。

 大家族の長男も、赤子からその家で固定した大人から育てられ育まれ、大きくなる中で下の兄弟が増えていく。自分が育てられた同じ環境で、自分も長男としての認識が身に付いてゆく。養護施設のようにいきなり大きい子が入ってくるわけではない。
 
 施設を大きな家族といったりする誤解は最近影を潜めている感じはするが、数年前はこれがひどかった。だからネットで、施設を家族・家庭と呼ばないでとキャンペーンバナーを作った。

 これからも自分の認識違いを浮き彫りにしつつ、家庭で育つ事が出来ない子ども達を里親家庭へと言い続ける。日々、無愛着を怒られているうちに、ますますそう思うようになった。#WolfとMariaがわたしを問題児として職員会議してない事を祈るよ。

 たかが無愛着、されど無愛着なのだ。ohmygod

|  養護施設にいる間の問題 | 07時14分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/443-2fd2c040

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。