PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

施設で育ち切った問題を家庭で育った人のエリアで考える事と限界

メンタル整理:アプローチに関する失敗


neko



 わたしは施設だけで育ったのに、自分がこんなに変わり者なのは、家庭がおかしいから、親がおかしいからと思い、その思考の上に立って何事も考えを組み立てていた。#でも実際は機能不全家庭で育ったわけでも、極端な性質の親から育てられたわけでもなかった。

 曰く、

 わたしは精神の病に冒された人の子だから、だから考え方が変なんだ。
 わたしがこの世の中にうまく馴染めないのは、わたしの頭が変だから
 わたしがこんなに人から冷血と言われるのは、親の血がそうさせてる
 わたしが嫌われやすいのは、わたしが人間じゃないから
 わたしの考えがおかしいのは自分の精神が歪んでいるからだ

 #だんだん思考のこじ付けが凄い事になっていても気付かない 
 
 でも、その考えの中には、実際にどういう人からどう育てられたかの切り口は一切なかった。自分が養護施設だけで育ったことと、今の自分が抱えている課題を、育てられた実体のない親子問題・家庭問題へ繋いでいた。養育された場所がどこであったのかを考えられなかった。今思えばそれこそ問題だったのに、そこに気づかなかった。

 結婚するまではそれでよかったのかも知れない・・・
 
 しかし、結婚してから全てが表面化した。その具体的なやり取りについてはこのブログのあちこちに記事として残されているので興味がある方は一読して下さいませ。

施設問題じゃなく施設で【育った事による】問題

 わたしは、

 同じ施設全部育ちの問題を持つ人と出会うまで違った思考の上に立っていた。また、わたしは不幸な事に(あえて言わせてもらう)良質な、家庭育ちの友人と知り合う機会に恵まれなかった。だから、わたしは自分の問題を「どこにでもあるパターン」として追いやっていた。
 
 だから、自分が施設育ちである事を意識する事もなかった。かといって、家庭で育ったという意識もなかった。

 今思う事は、症状の具現化に至るまでのプロセスを考える事がつくづく必要だという事。家庭も施設も、どこで育っても全く同じ症状だと言いたい人がいるのも判るが、そこへ至るまでの道をつぶさにトレースしていかなくちゃ、途中で面倒になり【どこで育っても】と一括りにしてしまう。そうすると、施設全部育ちの問題は希薄になり、どれが問題なのか抽出しづらくなる。

 わたしは見かけの症状が、機能不全家庭の子の症状に似ている事を以って、【実体のなかった過去の家庭生活での影響によるもの】と位置付けした為、ここまで整理作業に、非常に時間が掛かった。家庭で育った事がないのに、家庭の問題を抱えているというおかしな把握の仕方になってしまった。

 だから、わたしが書く記事は家庭育ちの人々へ向けのものじゃなく、自分の問題を違った土台で考え続けている施設全部育ちへ宛てたメッセージとも言える。今、すぐに、自分の問題を、家庭で育てられた問題のエリアから切り離して考えてみてほしい。それでダメなら、元へもどれはいいだけ。 
  


家庭で育った人の回復と施設で育ったわたしの絆づくり

#この記事でいう絆というのは固定された変わらぬ人間関係の意。普段はソウルメイトと表現。

 それに気付かせてくれたのは数年前に会ったWolfだった。彼は最初、機能不全家庭の女性と整理作業をした。だから彼女に対するのと同じ様に(今考えればインチャイ関係かな?)わたしに対しても同じ考え方のアプローチをしてきた。

 しかし、施設育ちのわたしは拒絶したと思う。そもそも施設に児童はいても子どもはいないと感じてるわたしは、彼女と全く違う問題を持っていたので、彼は子どもに問いかける?虐待の整理と回復作業じゃなく、誰もいない人間に対する絆づくりへ移行したそうだ。(間違ってたら指摘して)

 たしかに途中で彼のわたしへの対応が変わった事には気づいた。その時から、わたしの中で緊張していたものがゆっくりと解けてきた。Wolfがもし今も、わたしに対して家庭で虐待を受けた子に対する整理作業と同じ方法を続けていたとしたら、わたしは今ここでブログを書いてはいないだろうし、里親さんを応援する気にならないだろうし、施設育ちには絆がなかったという事にも気付けないだろう。

 そして今はMariaとの出会いも経て、ますます乳児院・養護施設全部育ちの問題が自分の中で確かなものとして感じられるようになった。わたし達は捨てられた気分の家庭で育った子じゃなく、捨てられ、施設で全て育つ事で捨てられ切った現実を持つ子の問題に引かれてやまない。

 そしてそれはわたしの問題なのだという整理をしている。わたしは家庭の子の問題を拒絶排斥しているのではい、今は大事に 【似ているように見える症状】へ至るまでの施設全部育ちの問題を、アプローチという観点から自分なりに整理作業をしているという事だけを、言っておこうと思う。

 その整理が進めば、何故そっくりと言われて怒りが生じるか、その謎に近づけると思う。

| ├ メンタル整理 | 03時30分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/447-325e631f

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。