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慣性の法則:「いつか来る誰かを待ち続ける行為」へのファンタジーボンド

ぶちっネコ

Mariaの撮った写真の中でも特にこの目つきは良い風味

養護施設にいる間の問題

 養護施設全部育ちの子のメンタル本が無いと嘆いていても本屋に並ぶはずもなし。仕方ないので肉薄できているかどうかはおいといて、何とか自分の気持ちを出来る限りストレートに書いている。『養護施設で育てられて感謝してます』の類の話は山とあるので、わたしは全く違う観点から養護施設の話を書いている。
 
 養護施設にいた当時から、何かおかしいと思い続けていたが、何がおかしいか判らずに過ごしてきてしまった。大人になり、養護施設を外から見るようになった時、あの時のあの雰囲気は、このような意味付けだったんだと知り、自分が施設時代に感じていた「施設のおかしさ」が納得できた。

 という事で、改めてファンタジーボンドについてつらつらと。

 わたしは「いつか誰かが何処かから迎えにくる」「何かを待ち続ける」感覚というものは、施設に残り続け、家に帰っていく子を見送り続ける中で身に付けさせられたものではないかと思う。現実には自分ではなく他の子が誰かに迎えられて施設を出ていくのだけど、次は自分の番かもと当てもなく考えるだけでほんの一瞬だけ、夢を見させてくれる。それが自分の小さな幻想である事もだんだん判ってくるとしても、夢だけは見ようとする。

 それがいつの間にかわたしにとっては「迎えに来ない誰かを待つ事がファンタジーボンドの相手」となっていたらしい。つまり「迎えにくる人」ではなく「待ち続ける行動」へボンドされるという事。
 
反作用の法則みたいな 

 そう考える理由は、今、目の前に夫やソウルメイトたちがいるというのに、わたしはまだ迎えに来ない誰かを待ち続けている気分。さらに率直にいえば、夫やソウルメイトたちは、同じ速度で運動し続けるわたしにとっては、いきなり横からぶつけられた外力になってしまう。こうなっては事を続けるのが難しくなる、で、抗う。で毎日ケンカ。

 でも彼らから「あなたには今、私がいるんだよ」と言われると誰かを延々と待ち続ける事の邪魔をされた気分になる。わたしは本当に誰かが現れる事はないけれど、誰かが現れるかもしれないという幻想を持ち続けていたかった。

 現実に絆相手が現れるとそこのところが困るのだと思う。わたしには誰もいないことを土台として構築した思考パターンが多い。ほんとに誰かが現れるとかえって困るような、誰もいない事が前提の土台を壊されるような気がして、守備に入ってしまう。

 そう考えるとわたしは「いつか来る誰かを延々待ち続ける行為そのもの」へのファンタジーボンドが出来上がっていたのではないかと思う。

 もし、誰かを本当に待っているのだとしたら、今目の前に現れた彼らに向けてその絆の力を向ける筈だから。養護施設で夢見る力だけは手に入れたのかもしれないが、全ては全て虚構だった。

 確かにそろそろ同じ行動を取り続ける事をやめなくてはいけないと思う。理性ではそう思う。理性では・・・ね。この反省の?気持ちがいつまで持つだろうか・・・。無愛着がデフォルトだと誰かに絆を付けるのは容易ではないと改めて実感している。

|  養護施設にいる間の問題 | 10時05分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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