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投稿より:保育所の改善・安心して生きられるという気持ちをもてるように

養護施設にいる間の問題

 いつもお世話になっているjtwさんがドイツのサイトの記事を翻訳しBBSに投稿して下さったので、ここにUPさせていただきます。親からの虐待の子どもへの影響について論じられている記事は多く目にするけれど、親から離されて養育者を次から次へと変えられる事と、その影響について丁寧に書いてある記事は少ないと思います。

 jtwさん、ありがとうございました。



保育所の改善・安心して生きられるという気持ちをもてるように
by jtw 2007/12/22(Sat) 20:11

ドイツ精神分析学学会は 保育所の改善に鑑みて 生後3年間の親子関係のもつ重要性を確認した。

子どもを別の保育所へ預け替えしたり、別の保育ママに預け替えしたりすると、子どもは変更の度ごとに 絆の喪失を感じる。

家庭以外の養育は 保育所であれ、保育ママであれ、子どもにとって「家庭をいうまとまり」の一部として 認められるものである場合にだけ、家庭以外の養育は 子どもの発達を豊にする。

子どもが絆をつくる能力は 子どもの「自分の価値を認める感情」の基礎になり、困難に耐えられる関係をつくる能力の基礎になる。

感情や認知の発達も 幼児期の人間関係の安定性によって促進される。

幼児期に親から突然 離されたり、あるいは 親から長い間 離れたりすると、子どもは 安心して生きていけるという気持ちを無くしてしまう。なぜなら 子どもの言語理解と時間の理解は錯乱状態や不安を 説明によって 和らげられる程には 充分に発達していないからでもある。

親から離されることによって、子どもの魂が過大な負担に曝されるということは 絶望して泣いたり、叫び続けたり、その後では 諦めて黙り込んでしまったり、睡眠障害や栄養障害を起こしたり することに 示される。

このような子どもの魂への負担が 魂の中での破滅に至らないようにするには、特別の心遣いと理解が求められる。

親と離れたことに抗議しない「世話にやすい子ども」には特別の注意が必要である。というのは、そういう子どもの魂の負担は 時には 気づかれないからである。

子どもは家庭の中で 良い長続きする人間関係を持ってきた場合に 家庭外での養育から利益を得る。家庭の中で子どもと一緒に居て 能力以上の要求をされていると 感じる親や 孤立感を持ったりする親は 支えや 周りの人からの評価が 必要である。

子どもが一歳のときに あるいは 一歳半のときに 二歳のときに 家庭外養育を受けたかどうかが、そして 一日に何時間 家庭外養育を受けたか ということが 発達心理学的に見て 決定的に重要である。

親と離れている一日当たりの時間が 長くなれば成るほど 子どもの体内で ストレス ホルモン・コリティゾルがより多くなる。

一日中 家庭外で養育されることは 後々 学校へ入った時に 攻撃的行動をとること との間に 関連がある。これは 上記のホルモン説で説明される。

子どもが幼ければ 幼い程、子どもの言語・時間能力が少なければ少ない程、親の世話する時間が短ければ 短い程、一日当たり保育所に居る時間が 長ければ長い程、保育所の規模が大きければ 大きい程、保育所で世話する人が変わりやすい程、精神的健康への危険は深刻になる。

親は子どもを一番よく知っていて、直感的に子どもの保育所の質を把握できるが、職場へ母親を早く戻そうという 政治的要求が 直感的な知識をぐらつかせ、「正しい」女性像を求めるイデオロギーに基づく不必要な競争を煽る。

下記サイトから:
元記事へのリンク



感想コメント

 上記の記事の中で、世話しやすい子どもの存在に触れている事に驚きをもった。日本の記事にはまず個人的にはなかなか見かける機会のない文言なので、誰もこういう静かな粛々とした子ども達の事に気付いていない事に危機感と焦燥感を持っていたので、このような記事の存在はとてもうれしい。

 上記の親という定義が少し乳児院の子、養護施設の子たちの場合は、その親という存在から引き離されるストレスを自覚しないまま、集団養育の場に投げ込まれていて、そのままなので、少し脳の中でいくらか既存の親という範疇に留まらない解釈を持って読んだが、たいていは素直にそのまま読めば理解できる内容だと思う。

 親というものが子どもにとって保護者であり養育者であるという前提を持ちづらい乳児院・養護施設全部育ちの認知への遥かに遠い距離を感じた。そこまでストレスを抱えて育つという自覚なしに生きてきた事の代償を今、大人の自分が払っているような気がする。

 こどもの絆をつくる能力という表現にも大変おどろいた。わたしは生まれながら絆について疑った事がない人を夫にしているため、わたしが養育環境の影響でその能力を持つ事ができなかったという発想を持てなかったから・・・。

 そしてその能力(絆をつくる力)が自己に価値を持てるかどうかというところを読み、完璧に捨てられたからこそ養護施設で全部育ったという事実を認めないと先へ歩けない自分のような施設全部育ちにとってはかなり手厳しいものとなった。

 愛着や自己肯定や自分への価値への記事は今のところ、とても希少でありがたい。 

 

|  養護施設にいる間の問題 | 19時47分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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