PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

礼儀正しさと慇懃無礼の境界線が見えない時・・・

養護施設に居る間の問題:メンタル

 水臭いというものがどんな感じか判れば何か違うのかもしれない。でもわたしは水入らずという言葉もよく実感として理解できずにいるので、家庭育ちの彼らが施設育ちの何にイライラしどうしなのかについて、考えなくてはいけないと思う。

 わたしは時々人から「慇懃無礼」と言われる。慇懃無礼の意味はY'辞書で調べると「[名・形動]表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼なこと。また、そのさま。慇懃尾籠(いんぎんびろう)。「―な態度」」とかいてあった。

 そんな事は、子どもの頃から言われた事がないと感じていたのでそれなりに衝撃だった。わたしの人への対応の仕方に間違いがあるというのだろうか。

 人前で礼儀正しい事は当然で、むしろ、ぞんざいな態度の悪さから「その態度は何だ」と職員や上級生からいつ指摘されるか判らないと感じる。

 施設では、頭を下げて礼儀正しくしていればその裏の気持ちを詮索される事はない。どれ程悔しいような気持ちで頭を床にこすり付けていても、土下座をしていてもその時点で責められる事はない。(どちらかというと上位の者は下位の者が床に悔しい思いをしながら頭を擦り付けている事が重要だったりするのだ)

 そして、わたし達は、実際に水臭くない態度を知らないから、他方から慇懃無礼と批判を受ける事に対してどう対応していいか判らなくなるのだ。その代わり、何か、フレンドリーな態度を知らずにいるのかもしれない。

 家庭ではさじ加減ですむ事だと思うけれど、家庭の人が驚いたり不快に思う程、きっと養護施設から来た子(人も)は、何か奇妙なほど頭を下げて(一見)礼儀正しく見える事が不快なのだと思う。

 確かにわたしは、人に頭を下げている時、心が平和かどうか考えた事はない。ただ、意味もなく打たれるのはイヤだから、間違いなく誰からも叱責されない態度を覚えただけ。

 しかし、施設の塀の外では、こんどは礼儀正しさが慇懃無礼という言葉へ変わってしまう。子ども時代は「でかい態度を取るな」という言葉を避けるように、目の前の正しそうな態度へ向おうとして、今、大人のわたしは、その態度を慇懃無礼と言われる。

 わたしは親密な態度というもののやり方も知らないが、同時に、ほどよい距離の親しさを知らない。そこを超えると今度はいきなり、相手に対して下品で粗野になるような恐ろしさを感じる。そのあたりを丁寧に育っていないので、下品と慇懃無礼を一気に駆け抜けてしまう。だからわたしは、やはり慇懃無礼と言われても、この壁を壊す事が難しいと感じている。

 このような微妙な距離を我慢強く教えられる大人は、継続した関係の大人(養育者)だけだと思う。なぜなら、このような作業は同じ人間との継続した作業が必要で、その前提として、同じ人から価値観が伝え付けられることも必要だからだ。

 養護施設の職員はそれぞれに育ってきた価値観が違うという事が、子どもの育ちに関していかに大きな問題であるかが、朴訥ながら語っていきたい。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 10時42分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/463-728c8362

PREV | PAGE-SELECT | NEXT