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KY:引き止める人の存在に出会うまでの長い道のり

don't stop

コラムか?

 わたしもそうだけど、乳児院・養護施設で全部育った過去を持つ人は、今までの人生で一度も誰かから引き止められた事はない。

 だから、さっさと荷造りしてさっさと出ていく。 

 わたしは引越し魔と転職魔と人間関係遍歴魔と揶揄されていた。わたしが望んでいるわけではないのだけど、自然体で生きるとどうしてもそうなってしまう。影で色々言われてた。
 
 夫が「俺の事を放っておいてくれ」と言う場合、ほんとは「とっても寂しい」という事だと、こんな事を説明しなくてはいけない事にカリカリしながらも、なんとか説明してくれた。聞いたばかりの頃は「まわりくどい事言わずに、俺の事を気に掛けてほしい」と言えばいい、ややこしいなあ、と思った。

 彼が「一度も捨てられた事がない」なんて、わたしには想像できなかった。彼も「誰もない子ども時代」を想像する事はできなかった。彼は捨てられない自信がありながらも不安だから本心とは違う言葉を投げかけ、わたしが彼が望むリアクションを返さなくては成立しない心理ゲームみたいな事を仕掛け、わたしは「放っておいてほしい」という言葉を額面通りに受け取り放置した。

 施設では絶対に通じない事をやらかす家庭育ちの夫。あまりに難度の高い事を要求してくる。養護施設はこういっては失礼だけど、よく子ども達を(結果的)に放置していてもネグレクトに見えないうまいシステムになっていると思っている。わたしの概念は施設で作られた。

 養護施設全部育ちのわたしは、たしかに家庭で生きるにはあまりにズレまくっているかもしれない。相手が言う言葉を額面通りに捉えてはいけない場合があるとは知らなかった。

 高等テクニックを使う家庭育ちの相手には、その言葉が本当かどうか一回、悩んでみる必要があるようだ。自分がいくら、言った通りのことしかやらないからといって、相手がそうとは限らない、それほど家庭育ちは相手をコントロールする人々だ。
 
 誰かが居る事を土台として作られた思考と、誰もいないことを土台として作られた思考と、その2つの概念がいつも戦っているという事にだんだん気づいてきた。育てられ方由来の考えは誰にも譲れない、お互いに育てられた環境が掛かっているのかもしれない。

 ただ理性ではわたしの方が折れなくては、世界は養護施設になってしまう・・・。それは理解できるのだけど、本当に家庭の世界がすでに大人として出来上がった自分に必要なのかどうかと考えると、時々わけがわからなくなる。子どもさえ育てなければ、あとはどのような問題を持っていても、施設で根性が身に付いたと言ってればいいのだろうが、それもなんだか施設版バカの壁のようだ。わたしはそのバカの壁の下にバカみたいにつっ立っている。
 
 自分の答えは
 
 「子ども育ててなくても子ども達にとって安全な大人であるべきだ」

 という事だ。

| └ コラム | 13時31分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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