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視点:育ちの問題と女性問題を混同しないで語る為の整理1

同じ轍を踏まない

 わたしと同じ施設を出た先輩方(特に女子)が離婚するたびに施設内に風聞が流れる事があった。彼女らはなぜか離婚後行方不明、親権取り上げられ、慰謝料も請求する事もなく、ほとんど追い出されるような状況で出ているようなのだ。(← 本人から直に聞いたわけではない、噂ばなしとなって流れていた)

 彼女らは施設を出た後も比較的子どもを見せに来ていたらしく、それだけに急に来なくなり噂になりやすいのだろう。ただほとんど、何も判らないまま、スーッと行方不明になっていく。まっ施設は実家じゃないので調子が悪くなると施設へいけなくなるのは当然だけど。

 そういう先輩方の行方不明・親権手放し離婚話を幾つか聞いても、当時のわたしは結婚というものが何を表しているか知らないので、あまり話を聞いてなかった。

 そして、

 今、自分も結婚して思う事だが、仮に離婚という事になれば、自分は財産目当てで結婚したのではないし、欲しいものなんか何もいらない、と思い、黙って出ていくだろう。(今のわたしの本音)

 でもこの行動は、施設の先輩方と同じ轍を踏む事になるのではないかと思い始めてもいる。

嫁の問題と女性問題

 日々施設で育てられた無愛着の問題を書き続けているのだから、どう考えても施設育ちの自分だけが問題を抱えているように感じ、離婚ともなれば自分の施設育ちの問題が取りざたされるだろうし、相手側の家族からは「施設育ちなのに受入れてあげた」と改めて怒りを向けるだろう。

 でも、ここ数日、婚家の話を書いていて思う事は、整理作業というものは書き方をもっと工夫しないと家庭生活を知らない自分を責め続ける事がメインの目的になってしまうと思った。施設の問題と家庭の問題は違うというところにせっかく気付けたのだから、それと同じように嫁の問題と女性問題も整理しやすいようにソートしていきたい。

 さて。
 そこで視点を変えてみようと思う。

 結婚生活は里子が里親家庭へ行くのと同じはないという前提の元、いくら施設育ちにとって生まれて初めての家庭生活だとしても、大人の自分がその家に入り、嫁として生活するという事をキッチリ分けて考えるようにしたいし、又、古い家風にありがちな男尊女卑的な大家族的な考えというものを、もっと冷静に客観視しないと、何がそもそも、その時点に於ける問題なのか、その大事な点が判らなくなると思った。

 無愛着の問題1つとっても、

 里子が里親家庭で里親に甘えられない問題と嫁がお姑に甘えられない問題を同列にしても整理が進まない。里子は子ども、嫁は大人。里親は里子の養育者、姑は嫁にとって夫の母親。その辺りを混同しない事が必要。
 
 働き手の嫁が姑に甘えたら困るし嫁の仕事をきちんとこなしていかなくてはならない。その代わり離婚の際に、裸一貫で生まれたのだから、出て行くときも何も請求せずに黙って出ていくという発想は施設育ちにありがちだが、それは大人のやる事ではないと思うようになった。

 施設育ちの課題というのは、結婚した家庭で甘えることではない。同じ屋根の下、対等であるとはどういう事かと考える事ではないだろうか。

 次に課題となるのは、家庭の大人としてどう行動したら良いか考える事ではないか、と気付いてきた。その為には「どこの馬の骨か判らない嫁」という長ったらしい形容詞は思考の邪魔になるので、1人の女性としての扱われ方と、自分の相手への扱いの問題、その時々に相応しい行動、などを考えていきたい。
 
 そして、この視点は養護施設の女子も男子も無意味に権利も知らずに追い出されるような事にならないようにするための考え方のヒントになるような気がする。

 ともかく来年のブログテーマのひとつになりそうだ。

| └ ありがちな具体例 | 05時53分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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