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絆づくり:愛着を持った瞬間から見捨てられ不安が始まる

メンタル整理

【】 ← 主に未整理な心の声

 わたしは今まで一人で生きてきたから、パブリックの場で「絆相手が居ます」と言う事が恐ろしくもある。【だって、わたしは今、ぬけがけをしている。自分だけが絆作りをしている・・・これはわたしの裏切り行為(孤独な者が集う集団に対する】だと(自分勝手に、自動的に)認識(処理)している。【施設では誰か固定した相手がいる事が最大の贅沢なのだ】

 ここ数回の記事はエゴイストだ。自分本位が優勢すぎる。【これだけで厳罰モノ】

 やがて、誰かがわたしの首根っこを締め付けて、
 
 本当の現実とやらを見せ付ける者が現れる気がする。

 わたしに誰かがいるなんて甘い夢を見てはいけない、みな、誰もいないのだと思う時、今までわたしは絆相手を言葉と行動で傷つけていた。こういう相手を排除しないと身の危険を感じる。今までずっとそうだった。

  これは一見すると愛着障害児に似てるかもしれないけれど微妙に違うと思う。
 
 見捨てられ不安が根底にある愛着障害児の気持ちをわたしは、どうしても理解できない。わたしが誰か愛着を持ちそうな相手を排除するのは、見捨てられ不安というものじゃなく、集団を乱す裏切り者になりたくないからだ(と思う)。わたしは何しろ自称優等生だった。

 でも、今は我に返ると、たしかに・・・夢を見ているようだ。絆、固定された関係性、そんなものがなくても、誰もいない集団の中で自分も誰もいない人間として、滞りなく過ごしてきた筈なのに・・・。

  いつも、相手というものは浅くはかない夢のように、幻のように消えてしまうような気がする。愛着を持った瞬間から見捨てられ不安が始まるのだなと思った。

 相手が居ないことには「わたしは一人だ、放っておいてほしい」と言えないのだから。自分の現状を伝える相手が居なかった頃は、わたしは一人で生きていた事に気づかなかった。相手がいるから、今まで一人だった事が妙に身に染みてくるような気がする。

 そしてつぶてをぶつけたくなる
 
「わたしは一人なんだから近寄って来ないで」と。

 でもそれは、見捨てられるのが不安なのじゃなくて、自分の背中に張り付いている集団の子どもたちの渇えたような視線をゾクゾクと感じているから・・・一人だけ足抜けする事への抵抗があるのだと思った。

 これは個人的な欲求を持つことがエゴイストであると思っている以上、ずっと続く戦いではないかと・・・あきらめつつある。

 #今、夫もわたしを分析するようになった。(多分)夫は家庭育ちの観点からわたしの態度を見て、愛着障害児のお試し行動だと思っているようだ。彼がする事とわたしのしている事が表面上区別がつかない時、夫は家庭での子ども時代の態度をデータとして利用する。複数の分析者がいるのはマズイのかなと思い始めている。自分の整理が統一されづらい。夫は、わたしが寂しがらない筈がないと思いたいのだと思う。


| ├ メンタル整理 | 15時05分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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