養護施設を出てからの問題 夫とWolfはまったく違う生育環境で育ち、わたしは今まで同じ養育環境で育ったWolfからの分析を主に取り上げてきた。カウンセリングに一度も通った事がないゆえ、わたしはほんとのところ、どういう整理方法が正しい方法なのか分からなくなる事があるが、最近は夫もわたしを分析【分析と表現していいのか不安】するようになった事で、今までは分からなかった着眼点を持つ事になった【着眼点でいいのか?】
家庭で育った夫の場合は、わたしの表面上に現れている態度を
「本当は寂しいくせに素直になれない虞犯少年と同じ」と思っている【言われる】。
彼は寂しいときに「俺の事を放っておいてほしい」と試す。だから当然わたしも同じ事をすると彼は思っている。
でも、わたしは寂しさじゃなく、別の法則で「放っておいて」と言うだけ。この別の法則を彼は理解できない。
わたしは夫から「寂しい気持ち」を本当は持っているのに素直になれないだけと言われているが、これは出身施設の保母がわたしに対して言った言葉とまるで同じだった。わたしは見捨てられる不安が高じて人を排除しているのではないといくら言っても、保母にも夫にも分からないようだ・・・。
夫は誰よりもわたしの事を分かりたいのだろうが、わたしは夫の考えが見えない事が多すぎて、彼の観察がよけい、混乱を引き起こす気がしてしょうがない。
彼は全て、家庭の子の行動を基本データとしてわたしに当てはめて分析するので、わたしはかろうじて「チガウよ・・・」とまでは言えるけれど、そこへお姑さんや親戚の人の「ほんとはあなたは甘えたいのだと思う、ほんとは寂しいんだと思う」というような捉え方へ流されてゆくと、Wolfと整理してきた事が遠のいてゆく。
わたしの問題は寂しさを感じないところにあるから・・・。
正月やお盆のようなまとまった休みになると、嫁の立場の脆弱さも合わさって、自分の整理した内容をきちんと保とうとする時に『嫁なんだから何を言われても仕方ないあなたなのよメッセージ』を「素直」に正しい嫁として受け取らなくちゃいけない【空気に】埋没していくような気がする。
ともかく、施設児童の心理を家庭で育った児童の心理で説明しようとするので、わたしは○○家では「本当は寂しいのに素直になれない嫁」という風に分析されている。
そのつもりで彼らは接するので、わたしは内心頭をかきむしりながらも、嫁の立場の常として嫁いだ家庭の空気を読まなくちゃならないので、気付いたら、すっかり自分はどんな整理をしていたのか忘れそうになっている。
家庭育ちの夫はあきれる程、家庭のデータだけで施設全部育ちを把握しようとするけれど、今の自分にとっては構築の段階でこれでは、ちょっと大変だと感じている。わたしは休みになると夫と【だけ】対峙する事になる、すると、夫の論理に誘導されていく、すると、自分が自分でなくなる、この繰り返しだった。

全ての子ども(大人も含め)は必ず親を恋しがり寂しがる筈だと思っている夫を通して、施設出身者の無愛着を理解したくない(出来ない?)家庭育ちの堅固ぶりを見たような気がする。子を愛せない(実)親はいないと言い切る姑&夫連合との意見の相違はこれからも続く・・・。
こんなわけで自分自身がきちんと整理を固めないとすぐに揺らぐ・・・。むぅ。