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愛着障害:「無愛着で何が悪い!」と言い切れなくなった最近、思うこと

コラム:整理している途中なので、いつにも増して長文なり

記憶できない理由の一つ

 個人的にはわたしは記憶を失ったのではなく、記憶できないという側面もあると思っている。

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 数日会ったり話したりしていないと、その人への印象が薄まって消えてゆく。次にその人から声を掛けられたら、なぜこの人は自分に親しそうな態度を取るのか、少しムッとする。

 それでも、この段階ではまだ理性でその人についてはいくつかの情報が残されている。でも、その人と自分の関わりがとくに重要とは感じられなくなっている、薄まっていくその人の印象と自分の思いにはなかなか抗えない。さらに放置すると、その人の情報も消えてゆき、自分の心にその人についての気持ちが何も残らなくなっている。

 その人も自分も多くいる人間のうちの一人、何も自分と殊更付き合わなくてもいいと【心のどこかで知っている気分なので】自分が相手への気持ちを維持できない事への問題意識を持っていない。

 わたしは、これも無愛着児童の態度の特徴ではないかと思っている。【ちがうかな?】

リセットする関係性

 人を忘れてしまう前に、その人に対する印象の急激な減衰が始まり、それを放置しておくと、いつの間にかその人は自分の中から消えている。心に思う人がいないというのは、このような事をいうのだと思う。

 安定した関係性作りの骨子でもある、その人に関する記憶と自分との関係性の関連付けがうまく出来ない。里親が無愛着児童の態度の何に傷つくかというと、里子と精一杯築き上げてきたものが、次に会う時は里子の中でリセットされている事実だろう。

 こうなると又、一から関係性作りをはじめなくてはならない。【この関係性の積み上げを賽の河原の石積みと言う人も・・・】

 今晩話した相手が、翌朝には印象が薄まっているという事ほど里親にとってひどいしうちはないだろう。それでもこれはこれで、子どもにとっては普通の態度を取っている事になるのだ。

 こうして文章を書いている自分も【大人だが】今、色々な薄れゆく感覚を理性で保たなくてはならないと心のどこかで感じているから書いているのだと思う。

 養護施設では関係性のリセットを要求されて育つ。

 一年のスパンでは、

 たとえば、担当保母や同じ部屋の児童が変わる一年に一度の部屋がえ、春には卒園していく子、いきなり入所してくる子、友達になっても必ず別れが待っていること。いつまでも引きずっていられない人間関係の中で、たった一つの思いを保つ事じたい難しい。

 日常では、

 一人あたり三分弱の持ち時間、次の子の持ち時間を考えると、職員に対して何かの報告をする時、まるでタイムキーパーのようにきちっと、起承転結を考えて語り終わらなくてはならない。それを超えて話さなければならないとすれば、今度はそわそわと落ち着かなくなってくる。

「施設の方が良い」と無愛着児童が言う場合

 それなのに里親家庭では、今度は固定された相手を覚えさせられ、固定された相手との絆を維持させられ、相手への思いを固定させられる。今まで自由【放置され】だったのに、急に窮屈になる。

 里子は理不尽ながら里親家庭では、この意識の改革を迫られる事になる。
 
 施設の集団養育の場では問題とされなかった態度が里親家庭で大問題になる時、里子の心の中も今までの自分を責められている気分となるだろう。

 当然反発心の方が強くなり、放置に慣れている子は「施設の方がいい」と言い出す。わたしが話した施設職員も施設の方が良いと言っている子の話が出てくる。職員にとっても「そこが一番言いたい事」なのだろう。言葉に熱が入る。

 わたしも絆作りの最中であり、このような状況の里子と近い状況である為、施設の方が楽ではないかと思っていた。【今は思わない、全く!】

 養護施設では数ある子どもの一人が、施設に「懐く、懐かないは問題ではない」から。
 施設では子ども達が「ルールにのっとった行動をしていれば何を考えててもいい」から。
 施設職員の言う事なら「担当以外の職員の言う事も聞くように訓練されている」から。

 だから施設の方が楽なように感じてしまう、施設には誰もめんどくさい人がいない。

気持ちを継続する努力 

 施設では「この人でなくてはダメなんだという育てられ方をしていない」から、里親家庭で大変な思いをするのは当然なのだ。

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 だから里親家庭へは乳幼児のうちにと発信している。里子に「今までの環境では良しとされた態度」を少しでも短いものにしないと、里子は無愛着を自分の中に固定してしまい、なかなか、家庭向きの態度になれない。

 いくら叱られても、いくら心を込めて語っても、その時はわかったと答えるも、この出来事を引きずる事はなく、次に又同じ事を繰り返す。その人への基本的信頼感がないので、単に叱られた、単に運が悪いで終わってしまう。

 里親は「気持ちを継続する必要性」を子どもへ教えなくちゃいけない。これは大変な作業。施設では「いつまでもグジグジ悩むな」と叱られてきているのだ。
 
 そうそう、こんな風に判ったように書いているわたしも、今日も絆相手へ絆を繋ぐ事を努力しなければいけない、何故ならわたしは、どんなに彼らを思っていても、スーッと忘れてしまうから。又、氷水を背中に流し込むような事を平気で言ってしまわないように、少しずつ相手を大事にする事を努力していきたいと思う。

| └ コラム | 07時06分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑


 Yukiさん、こんにちは。

ただ、例の里親さんは『私たちは産みの苦しみを経験していないので、この子にはそれ以上の苦労をかけられても仕方ないです。』
と私に言ったことがあって、


 この言葉を語った里親さんの気持ちが胸に迫ります。わたしも、 http://www.foster-family.jp/ sidoさんのサイトなどを閲覧していた時、それに似たような表現に出会った事がありました。

  書いて下さってありがとうございます。わたしの言語化も、いつもは行動している事なので、少し表現が難しそうですが、でも、自分の衝動でもあるのだと認識しつつあります。

 わたしも子どもの頃、ものすごく、絵を描く事に夢中になりました。その時何が言いたかったんだろう・・・と思いを馳せる時があります。絵を描けなくなり、文章を書くようになりました。

 無愛着は悪意でそうしているわけではないという事をほんの少しでも世の里親さん希望の方や里親さんに知らせたい気持ちを持っています。

| レイ@Yukiさんへ | 2008/01/16 10:30 | URL | ≫ EDIT

Leiさん、こんばんは。
心強いお返事をありがとうございました。

施設では「この人でなくてはダメなんだという育てられ方をしていない」から、里親家庭で大変な思いをするのは当然なのだ。

本当にそう思います。
実は先ほど、30分かけて作ったコメントが消えてしまいました。
今日は、私の知っている里親さんについて書きたかったのですが、
消えたということは書かなくてもいいことなのか、書くべきことではないのか考えてしまって…ちょっとブルーです。
すみません。

ただ、例の里親さんは『私たちは産みの苦しみを経験していないので、この子にはそれ以上の苦労をかけられても仕方ないです。』
と私に言ったことがあって、

無愛着児童にかけられる苦労というのは、産みの苦しみを経験していないから、その代償なのか?と考えました。

『あなたは産みの痛みを知らないから、その分、心の痛みがやってきますよ』と、言われたことがあるらしい例の里親さんですが、それを言った本人が児相や施設職員なら、きっと私はキレます。

色々書きたかったのですが、また来ます。
Leiさんが『無愛着児童の気持ちを言語化したい』と考えてくださって、本当にうれしかったです。
私もその作業に、微力ながらお手伝いしたい気持ちでいっぱいなのです。
ありがとうございます。

おやすみなさい。

| yuki | 2008/01/15 22:27 | URL |














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