2008年02月04日
リセット:いつもここは「期間限定の場所」いつもわたしは「期間限定の人」
コラム人への思いも、今いる空間も、保持しきれない記憶も、けして積み重ならない。いつもこれらは全てリセットすべきものだから。今という瞬間に、いちいち一生分に近いエネルギーを掛ける乳幼児期を経て、やがては今という瞬間をその度ごとにリセットする大人へとなっていく。
そう・・・
『○○さんが迎えに来るまで、ここで待っていましょうね』
まだ言葉を理解しない乳幼児に、いつも不特定多数の大人が有形無形のメッセージを残して去ってゆく。ここはいつも暫定の場所。ここは『○○〜までの間、○○〜が来るまで、何か【誰か】を待たされる場所』だから、ここは基本的に最終的な場所じゃない・・・と。その言葉の意味も判らないうちに全ての五感がそれを取り込んでゆく。言葉はわからないのだけど、あわただしい人の流れに取り残される事によって、感覚がその現実を受け取ってゆく。
乳児院・養護施設〜卒園まで、一人の子はどのくらいの消え行く大人を見送るのだろう。来る宛ての無い誰かを待たされる為に、ここに居なくてはならないのに、その来る宛てのない誰かは最後の最後まで現れない。遅くても小学低学年までには自分には誰も来ない事を悟るし、卒園の頃には誰を待たされていたのかも判らないという現実に気付く。
この世界とつなぎ止める舫もなくて、それでもこの世界で生きる事を、捨てられた子ども達は一方的な課題として持たされている。
・・・いつも思う。
時に大人は、子どもが大人を求めない姿を嫌うくせに、その子どもに誰も居ない現実を見ようともしないと。
| └ コラム | 10:53 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑


















ごめんね、何言ってるか自分で判らなくて削除しちゃったよ。
でも読んでくれたみたいでありがとう。Wolfに関して、わたしは独特の勘違いがあるの。それも脳内で整理している以上どうしても、足りない。
Mariaに出会う前は、もうWolfとどう接していいか判らなくて困ったっけ。とにかく家庭育ちの子を何よりも優先しなくてはいけないという信号をどこで受け取ったかがカギだと思う。偶然家庭虐待の子の回復作業に向かい合った彼に出会った事で、わたしは、わたし独特の心の癖が出てしまった。わたしは彼の前では、のほほんと生きている施設育ちでしかないと思われているような気がしていた。
彼はわたしが自分勝手に潰れる事を誘導していると勘違いしていた。彼はわたしの敵じゃない、わたしが生きる事を邪魔しない、なのに、わたしは彼を勝手に、わたしを【傷がない事をもって】罵る人、だと思い込んだ。
考えてみたら、彼はわたしが自分勝手に事故死する事を望むような人じゃないと判っている。十年近く彼はわたしに示してくれた、彼はオオカミじゃなくて、わたしに関してはセントバーナードだと自分の事言ってたよ。
それなのに、彼が家庭で虐待を受けた子の怒りをわたしにぶつけるような気がして、いつでも受けて立つと思ったり、やるならやれと思ったり、悲しくなったり、どうしていいか判らなくなっていた。
Maria、いつも書いてくれてありがとうね。
| L+@+Mariaへ | 2008/02/06 07:26 | URL | ≫ EDIT