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「大人げない」と悩み続ける子ども達は施設でモデルとなる大人を探せない

養護施設にいる間の問題

おとなげない


 大人である事を意識してたわたしは、小学生の頃には「大人気ない(おとなげない)」事で悩んでいた。でも、わたしは子どもの頃に「大人」とは、どういう存在として意識していたのかを整理する必要がある。

 あの頃、

 「全くわたしって大人気ないなあ」と、大人がどういうものかを知らないのに言葉ばかり上滑りしていた。ごくプライベートな関係性の大人さえいない環境なのに「大人気ない」と悩むのは実際とてもおかしい。実態のない幻の上に構築された大人イマジネーションを、自分がなぞる事ができない限界を感じているのだと思う。

 夢をよく見る。わたしの両肘を掴んで、

 「いいか、お前は大人だ、小さな子どもではない」
 「お前は自分がすること、感じることの全ての責任者だ」

 と言った夢の中の人。その男性【だと思う】は、両膝を折り、わたしの両肘をつかんで噛んで含めるように言った。自分の背中のランドセルを意識していて、わたしは「大人」としての時間軸に点を打つべきかどうか、少し悩んだ。いくら子どもでも大人として全ての責任を負う事の重要性くらい判らないわけじゃないから、かなり震撼した。

 でも一方で、そんな具体性の全く無い大人像を穿ってよいのかと考えた。

 大人とはどうあるべきかを教わる前に、お前は大人だ、全ての考える事の責任者はお前だと言われる事のリンクのしにくさ。かなり子ども心に難しい問題に対峙していると思った。

 何がどうなろうとも、自分の運命が左から右に一方的に流されようとも、自分はそれを他人のせいにできない。

 ならば、わたしは自ら生き延びるしかないと思った。

 自分の意思で脱走をする、自分の責任で脱走し、運命の転換を図った。

 しかし、実際は養護施設からは無力な子どもは逃げる事もできないという現実だった。自分の責任の取り方を、大きな運命に逆らえない中、それでも転換を図ろうとする空しさは確かに子ども時代の特徴なのかもしれない。それが子どもである事の限界でもあった。

 だったら、最初から選択肢がある状況が必要だ。子どもの責任の取り方ではなく、どちらがいいか、親の無い子がせめて選べる設定を、そこにセッティングしてほしい。

里親か、養護施設か

 
 子どもは、選ぶ為の情報が無ければ、何も選びようがない。ただせいぜい出来るのは全ての責任を負うつもりで、この場から命の為に逃げ出す事である。それ以前に、施設にいる理由として、その子どもに与えられているのは、全く親としては機能しない親を待ち続けるという激しく限られた選択のみ。

 子どもが逃げ出した罪を一生賭けて負うのはおかしい。

 Mariaも言っていたけれど、
 
 それに、施設が安全で安心できる場所なら、そもそも子どもは逃げないの。

 という事が大事な論点であって、子どもが脱走した事そのものの責を問う事とは別の話だと思う。大人が責任を一切取らない世界【担当じゃないとかいろいろ】で、子どもだけが責任を問われる養護施設というものに、わたしはやるせない気持ちを持っている。 
 
 

|  養護施設にいる間の問題 | 10時11分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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