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CAPの活動と児童養護施設のタイアップ

児童養護施設にいる間の問題


 CAP:http://www.cap-j.net/index.html

 成り立ちと歴史
 http://www.cap-j.net/about.html

 エンパワメントと人権意識とコミュニティ
 http://www.cap-j.net/power.html 

 CAP児童養護施設プログラム
 http://www.cap-j.net/workshop/workshop_new.html

 CAP児童養護施設・子どもワークショップ
 CAP児童養護施設・施設職員ワークショップ
 CAP児童養護施設・地域セミナー


 わたしはCAPの活動を何度読んでも、その目指す目的はすばらしいと思うものの、家庭を知らない子どもたちには難しい考えなのではないかと感じている。養護施設の子の為のプログラムを別に作る必要があるようにさえ思える。

 児童養護施設の子ども達の為にCAPの活動はどのように実践されているのだろうか、一度参加してみようと思うものの、児童養護施設がCAPの活動の中心にいる時、施設の子どもの心にどんな心的なものがあるだろう。地域の子には飲み込みやすい話として、できあがってるCAPの語りかけ方は、養護施設の子どもにそのまま通じるのだろうか。

 児童養護施設では「子どもの権利ノートに、子ども達は何も書かない」と保母から聞かされた。



 施設職員ワークショップは、学校における教職員ワークショップや 保護者ワークショップの位置づけになります。指導員や保育士の他にも心理士や調理員など 可能な限りの職員に加えて、実習生やボランティアも可能であれば参加してもらうとよいでしょう。



 と書いてあった。

 わたしのいた施設は、地域の虐待を受けた子どもの受け入れ先ともなっていた。わたしが入所中にも、保護を求めて駆け込んできた家庭の子どもがいた。【当時の職員・談】

 これは今考えると地域の子どもの保護先としての施設だった。わたしはそういう意味でも地域の中では、保護先、としての児童養護施設の顔があった事、そのものについても、考えざるを得ない。

 養護施設が家庭虐待の保護先としてのキャンペーンの一環としてこのような活動に深く入る事を、そのまま受け取るには、施設という世界の闇が深すぎると感じている。

 わたしは児童養護施設とCAPの活動が共に歩む事を、少し冷静に見つめようと思う。虐待防止に積極的な施設で育ったと思うので、何か、少し冷静に考えたいと思う。

 そのような養護施設で育つ子ども達は、たとえば児童間暴力に晒された時に、逃げる場所を確保できるのか、誰か相談できる相手がいるのか、脱走した時に連れ戻されたとしても、その子は、その虐待防止に積極的な顔を世間に見せている施設で、どのように救われたらいいのか。
 
 CAPに積極的に参加している施設が、施設内虐待をしている場合の問題を考える必要があると、強く思う。【杞憂ではないと思う】

 親の無い子の意見をを受け取る為の、もしもの整備が整えられているのかどうか。【地域の、児童養護施設の子への差別心がある事については?】

 又、エンパワメンという(子どもの内なる力)という言葉【翻訳】がよく分からない。英文を調べりゃいいのだけど、調べる気がおきない。知らない単語を後で調べます。

 わたしも内なる力ならいっぱいあると思っているが、自分で生き抜く力とは又違うのだろうか。社会から捨てられた子どもは、社会の代表である大人にどう対応すればいいのだろう。

 養護施設の子の立場での、CAPというものを考えてみたいと思う。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 09時30分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

疑問は投げかけます。

Leiさん、その疑問は投げかけます。それが今の私に出来ることだから。

それぞれの当事者だった現在の大人がプログラムの中に参加していけるようになることがアメリカから、日本に「プログラム」を紹介した森田ゆりさんの願いでもあるから。

Mariaさん、私と同じとは思っていない人間だとそろそろ認知していただけませんか?

CAPがあるから養護施設がそのままでいいなんて思っていませんよ。けんかをしたいわけじゃないので、これ以上はここには書きません。

| kasumi | 2008/02/21 22:53 | URL | ≫ EDIT

 児童養護施設の子に「あなたは大事な人」と伝えて理解できるだろうか。この世に親戚縁者一人もなく生きざるを得ない子に「あなたの命は大事な命」と言って、理解されるだろうか。

 わたしはそんな不遜な事は言えないです。自分の命が大事である事を本当は知っている子と、命自体に意味のない子の生きる姿勢は全く違う。
 
 自分がたった一人の大事な命だと知っている子は背中から一押しされたい、それがCAPの言葉のような気がします。待ちわびた言葉に出会えば、人は救われた気持ちになります。

 でも、わたしはそうじゃなかった。わたしは現実を生きていたので、誤魔化しようの無い現実だったので、自分は捨てられた人間としての言葉を勝ち取ったのだと思います。

 生き方の方向性としては、その後、たとえ捨てられたとしても自分をどう守るかを考える必要があると思っています、しかし、現状のCAPの理念にそのまま乗っかる気分になれません。

 

| L @  | 2008/02/21 14:16 | URL | ≫ EDIT

 Kasumiさん、

 Leiちゃんが語る言葉に私も同じと返すのはやめてほしい。あなたはいつも人の言葉に便乗し、人の考えに賛同し、自分で考える事を放棄している。養護施設の子どもが生き延びたのは「大切に思う人が」いるからじゃない。

 ただボロボロになって、気がついたら施設の外に立っていた。

 ただそれだけ。

 残念ながら、施設の中で死んだ子もいた。

 CAPの理念を振りかざすのはけっこうだけど、CAPはあくまでも家庭虐待の子しか救わない。施設の子を救うのは、CAPのような理念ではなく、その子だけを育ててくれるたった一人の大人、たった一つの家庭。

 そこで初めて、施設の子にも、CAPに参加する資格が出来る。ゼロをどれだけエンパワメントしてもゼロでしかない。

| Maria | 2008/02/21 12:32 | URL | ≫ EDIT

その違和感は、私もあった。

Leiさん、おはようございます。
トラバはしたものの、うまくかけないなぁ・・・と。

私もこのプログラムには12年ほど前に出会っていますが、そのときは「ふうん」ってなもので、「大切な権利を持っている私」と言うようには捕らえることが出来ませんでした。

そのわけには、自分自身が「大切な存在」であることに気がついていなかったことと、とりわけ普通の家庭の人がプログラムを実施していたので、別世界の出来事のようにも感じました。

10年の時間が過ぎて、人を育てる仕事や子どもと触れ合う中で、「あら?」と思ったのがこの人権意識です。

暴力の定義の中にも、「自殺」やいじめ、差別、偏見、殴る蹴るは当然ですが、ネグレクトなども入ると大人には説明します。(大きく言うと戦争も)

生きていくのに、どうしても必要なもの。食べる、息を吸う、遊ぶ、友達を話をするなどさまざまな答えが子どもから出されて、その中で取り分けてとても大切なけんり(安心・自信・自由=人権)がどんな人にもあるのだと言うことを知って欲しい。
そして、人の権利を奪うことなしに、自分の権利を守っていく、そのことを一緒に考えようねというプログラムになっています。

長い間「人権」と言うものを捕らえてきていない、逆にその「生きて行く権利」(食事、環境、人との関わり)を捨てざるを得なかった、大人に捨てられてきたわけだから、「なんだろう?」と思うのは当然かなと思います。

ただ、子どもを育てている人は、「もっと子どもが小さかったときに、この話を聞いていたら・・・」とアンケートに書いてくれる人も多く、また子どもの話をどう聞いていくのか、「どうしてそんなことをしたの?」と責めずに聞く手法なども説明もあるので、子育てしている人、(家庭、学校、保育園、施設)には一度は参加して欲しいプログラムだと思っています。

一人の人として尊重されるべき子どもに、あなたのことはなにも知らないけれど、「たった一つの命、大切にされるあなた」なんだと、伝えたいです。

もちろん、LeiさんやMariaさんにも同様に私は考えています。

感覚の違いがあるのは当然で、家庭で育った人でも、「ちがう」と思うと意見を書く人もいますから、それも良いことだと思います。

一つの考え方として、こんなのもあるさ・・・って。

いつもありがとう。

| kasumi | 2008/02/21 08:57 | URL | ≫ EDIT

 TBをありがとうございます、Kasumiさん。あちらにコメントすれば良いのでしょうが、とても可愛らしいデザインのブログなので、少し戸惑い、散々悩みましたが・・・今回は自分のところで書いてしまいます。ごめんなさい。

 大人のわたしは施設に長期入所中の子に向かって「あなたはたった一人の大事な人」とはどうしても言うことが出来ないのです。親が育てられないというのは親が育てるつもりがない、親が迎えに来る宛ての無い子です。そして里親家庭へも行けない子です。そのような現実を養護施設で生きる子に、安易に「大事なあなた」と伝える事ができません。

 CAPでいうエンパワメントは、子どもの持っている力を信じる。あなたにはきっとなにか出来る力がある。

 内なる力を信じるよ。そう伝えていく。

 自分は大切な人なんだと思わなければ生きてはいけないのだ。
生き延びた人たちは、どこかで「大切な人」だと言われていたのだと思う。


 そうですか「きっと、なにか、出来る力」という抽象的な部分がとくに難しく感じています。それとも「ここへ行き、このようにして下さい」と子どもに伝える手はずはあるのでしょうか。施設の子は地域からは隔絶した生活をしているので、具体策が必要です。

 わたしは自分の力で生き抜いていくのが、自分にとっての普通でした。わたしは生き延びたけれど、誰かから「大切な人」と言われたから生き延びたのじゃなく、誰もいないなら自分で生きるしかなかったと思っていました。

 今は大人なので、それではいけないと思っています。そして子どもを目の前にして突き放すような事を言ってはいけないと理性は教えてくれます。

 でもCAPの理念にそのままの形で沿うのがとても難しいと感じています。多くの無力な子どもにとっては間違いじゃないプログラムだと思いますが、捨てられ切った養護施設の子については、それでは済まない現実があり、その問題をまともに喰らって生きていると感じています。

 そして、地域のコミュニティについても過信できません。地域のコミュニティの意識を高めるプログラムの中に、養護施設の子どもへの差別心があるのを前提にリスクをあえて抽出する目的としてブレインストーミングをする機会があればとも思います。

 その問題に対峙しなければ、施設の子が地域の家に救いを求めて駆け込む事もできないと感じています。養護施設の多くの子は地域からシャットアウトされています。地域を信じるに足る存在だと信じさせる前に、地域が養護施設の子をどう見ているのかについて、話しあう事は避けて通れない気がします。

 そのような施設の子固有の問題を語れずして、あなたは大事な存在というのは、理解が及びません。

 長くなりました、すみません。


| L @ 大事な人と思い込む事 | 2008/02/21 05:07 | URL | ≫ EDIT














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