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誰も居ないワタシは、固有の相手から傷つけられた子に掛ける言葉はなかった

メンタル整理

 わたしはリアル世界で、家庭虐待の子から怒りを向けられやすいという変わった体質?だった。ネットにおいても施設体験付家庭虐待の子からも怒りを向けられやすい。その説明を何度Mariaがしてくれても忘れ去ってしまうんだけど・・・。

 あの頃【注:リアル世界】も、何故か嗅ぎ付けられて、その子たちが何かわたしから引き出そうとする気配。でも鈍感な自分なので、彼女らが何を言いたいか判らなかった。

にゃおん


 そして大体大まかに判るようになった今も、彼女らに答える言葉を持っていないと断言できる。誰も居ない事と、固有の相手から傷つけられた痛みを比較する事はできない。比較できないという事は、必要なケア内容が違うという事なのだ。

 「たった一人の大事なあなた」と思われなくても自分勝手に生きてきた施設の無愛着児童たち。それはそれであの頃に必要なメンタルだったと思う。でも家庭の子は、固有の相手が常にロックオンされている。その人からの、その人との関係性の上での虐待を受け、その虐待行為によるメンタルの影響が表面化している。

 わたしは、捨てられただけでなく、捨てられた後も誰も現れなかった。そのような子ども時代を過ごした事がそのまま、世界からの一つの答えを受け取った事なのだと、解釈している。

 わたしは一人で生きてきた事を否定はしない。でも一人で生きざるを得なかった過去の養育環境を間違っていると感じている、だから否定する。

 捨てられたところまでは仕方ないとして、その後「たった一つの大事な命」と感じられるように、たった一人の子どもとして、固定された養育者から【それを家庭というの?】育てられる体験をまず、してほしい。

 捨てられた【らしい】けれど、それ以上に、誰との出会い【里親だと思う】もなかったなあという気持ちとどう向き合えばいいのかわからない時が、確かにあの頃にあった。「誰からも必要とされなかった現実」と「大事なわたし&命」がリンクできない。養護施設で全部育つという事をわたしはそう解釈したのだ。

 だから固有の相手から虐待を受けた云々は、自分の場合はピンと来ない。CAPの理念や、家庭の人が励まされる色んな名言の中の「大事なあなた~」に共感的な反応ができる人は、心のどこかで【本当は大事な自分である事を】判っている人で【そうであるにも関わらず虐待を受けたので傷を負った】か、さもなくば達観した人【全く何も望まない】か、だろうなと思ったのだ。

うな~


 これは自分の感じ方だから、施設の子全てがそう感じているわけではない事を念のためことわっておきます。・・・それにしてもわたしは何故、悩む人々が大勢居る中でたった一人、悩みがない事を悩んでいたんだろうと、今でも時々思う。【独白】

| ├ メンタル整理 | 09時43分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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