PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「裏切り」と「後ろめたさ」がリンクできない愛着障害児は里親の心を傷つける

Soul Family ・別館:傷つけることについて

関連記事:人を「裏切る」ことに後ろめたさを感じない無愛着児 ← Mariaのブログ

実親幻想に基づいた観念と里親たち
 
 「施設へ戻された子は里親家庭で気持ちを傷つけられた」という表現を聞く事が明らかに大変多いのだけど、そりゃそうかもしれないと思ったりする。「そりゃそうかも」といったのは、里親家庭から施設へ戻された子は全て里親から傷つけられたという前提だけで語ろうとするので、全て子どもは一方的に傷ついた存在という事になってしまうという意味で使った。子どもが施設へ戻るような結果になるまでの里親との経緯が全く乱暴にすっぽりと抜けていると感じるから。

 愛着障害児だったわたしは、よく「どんな実親でも子どもは実親が大好きなんですよ」という言葉を一方的に聞かされてきた。わたしにとって生物学的親がどうであったか知らないが、ただ一つ言える事は「どんな親でも子どもは実親を求める」という言葉への無責任な匂いへの嫌悪だった。

 そして対極にあるのは、実親でない里親や継親が、どんなに無愛着な子どもに対峙させられているかという現実。かれらは実親でない為に、子どもが基本的に里親を求めているわけではないという考えの為、施設へ戻された子たちが「里親から傷つけられた」と表現され【易い】現実だと思う。それはどんな実親でも子どもは求めるという言い方と同じくらい、乱暴な決め付けだと思う。

 もちろん里親不調の話も大事だが、普通の家庭出身である里親たちがいかに神がかりとも言える努力を強いられているかを、ある意味スルーされがちであるという問題があると言いたい。施設へ戻された子が里親から傷つけられたという表現のみが王道を歩いているようにわたしの目には感じられて仕方ない。

里親を傷つける子ども達

 わたしは子ども【子ども的立場の時も含め】が大人を傷つけないとは思わない、けして。

 わたしはWolfがわたしより少し年齢が上の為、彼が兄的か父的に見えてしまう事がある。俄然わたしは【勝手に】頭から押さえつけられているような気持ちになってくる。時々電話の雑談で、彼がわたしの居場所を把握する為に「今どこにいるの?」と聞かれるだけなのに「うそ」をつく。それもとっさに「全然自分が居ない場所」を言う。自分が今何処にいるのか言えない、いつでも逃げられると思う癖がついている。

lei


 その際、うそをついた事を悪いと思っていない。もしバレても、いままでいかに「誰も居なくて楽で自由だったか」を、全く的外れな表現をしながら、責め立ててしまったり。

 わたしはいつも「彼を出し抜いて脱走に成功しよう」と思っていた。わたしの人生目標は「脱走の成功」なのだ。わたしの場合は脱走願望だけれど、里子によってはモノを盗ったりうそをついたり、お金を盗んだり、親に相談せずに勝手にやろうとするのではないかと思う。それが親を裏切る行為であり、親を傷つける行為であるという事がピンと来ない【と感じている】。

 わたしは大人だけど、子どもの場合も乳児院・施設から来た愛着障害児たちは「裏切り」がどういう事かを知らないので「後ろめたく」思わないという点では近い心情ではないかと想像している。

 つまり。うまくやればいい、バレなければいいと思ってしまう。

 その子が何か悪い事をして、後ろめたく思う為には裏切ってはならない相手をきちんと固定させる必要があると思うし、バレた時には「技術が未熟だった」と思わせてはならない。何故ならわたしがそうだから。

 わたしは今でもWolfを今度はもっとうまく出し抜いてやろうと心のどこかで思ってしまう。当然そんな事を彼は知っていて、怒りながらも傷つき悲しむような状況。そして「この人だけは裏切ってはいけないという気持ちを知らなきゃならないよ」と言う。

 それを聞くと・・・、
 
 わたしの内面は常に「裏切ったかも知れない」と気遣う相手がいない。
 わたしは「裏切ったかもしれないと後ろめたく思う相手」がいない。

 という気持ちである事を、絆相手に出会った事でようやく気づいた。

里親さんたちは声高に語れないから・・・

 そういう意味では、里親がどれだけの「見えない」地道な努力をしているか、今のわたしならよく見える【思い込みかもね】。ただ守秘義務があるので彼らは里子の事を細かに書けないだけなのだ。

 わたしの立場は里子ではない、もちろん。

 でもWolfを仮にオヤジ的立場と位置づけたならば、わたしは自分のやってきた行動を覚えている限りで説明しやすくなる。何故なら全くもって無愛着な里子に近い態度を取り続けている現実が自分にはあるから・・・。

 わたしにとっても施設を出たままの部分が根強く残っていて、絆相手としての出会い方をした人は今まで居なかったのだから。十年もの月日は一言で書けるけれど、重ねた年月は十年分だ。彼は十年分の蓄積がわたしとの間にあると思いたいようだ。

 里親になる事は想いがあればそれで十分ではない。想いが有り、尚且つやはり様々な、里子を養育する為の、愛着障害・無愛着の知識や基礎知識が必要だと思うし、乳児院・施設で身に付いた事柄を学んでおく必要も感じる。それは親から子へ伝わり続けたその家庭独自のもの【だけ】じゃなく、系統立てた学問も学んでほしいと強く思う。

今ここにいます


 しかし学んで知識を得たからといって、里親が子どものする行為に傷つかないわけではない。一方、子どもはその間も施設の方が楽だと感じている事だろう。施設では集団のルールさえ守っていれば個人的な信頼や愛着の事を言われずにすむのだから・・・。

 それほど、里親は大変な役割だと思う。でももし、愛着が里子に確かに根付いたと感じたら、これほど里親冥利に尽きる事もないような気がする。【すごい勝手な言い分・・・里親さん方こっそり謝】

 #今日も長文だし、絆相手に対して、里子的立場で説明している自分は少し変な親記事を書いたけれど、自分の本音の部分の心情を書くのに必要でした。判りにくいとしたらすみません。

 追記

 Mariaがもっとシンプルに記事を書いてくれました。Mariaに対してもわたしは冷たい事を言い放っている事に気付けない事が多いのです。彼女の記事の方が読みやすくてダイレクトな表現ですので、戦記を読んでも判らなかったら、彼女のを読んでいただけると幸いです。

|  Soul-Family-projct・別館 | 18時46分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/533-6fc2096a

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。