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卒園:「神はその人に背負えない荷物を負わせる事はない」と言われ

養護施設にいる間の問題

 一人で生きねばならない荷物とは

 あのころ・・・
 
 「神はその人に背負えない荷物は負わせない」と言われて育ち、「あなた方がたった一人なのは、神が嫉妬深いお方なので、あなた方が神だけを見つめるようにと、全てを取り上げたから」などと、大人から戒められ、その通りの思いで生きてきた。親のないわたし達が、まるで神より選ばれていると誤解させるに任せるかのような論調・・・。時々その大人は、親のない事がうらやましいかのような口調で、何か熱がこもったように語っていた。

 それが間違っているか正しいかよりも、そういうものだと思い込まされてきた。プロテスタント系の養護施設だったそうだ。表向きは目立たないものの、その中身はいつも戒めのコトバであふれかえっていたそうだ。

 あの頃、子ども達が一人で生きる事には意味があるのだ、と思い込まされていた。神さまは強大な存在だったので、少しも外れた考えを持った事もなく疑いもせず、施設に一人いなくてはならない理由と聖書を引用したらしき言葉がセットになり、子ども達へ植えつけられていった。これも一つのスリコミだったと今なら思える。

祈りの時を家族で・・・

rosemary2

 庭に生えてるローズマリーが凍ってます。ちなみに花言葉は記憶なのですが・・・


 しかし社会に出て驚いた。
 
 多くの一般の人々は、自分にとってプライベートで大事な人がいて、大事にされていて、色々ありながらも寄り添いながら生きていた。

 人に連れて行かれた教会でさらに驚いた。教会のの門をくぐる時、家庭の人は家族で来る。幼い子の手を引いてやってくる母親、乳飲み子を抱いて通ってくる両親。よく見ると、一人で生きる事に理由付けをしているような人は見当たらなかった。彼らは家族で祈りの時間を持つと知った。

 神には一人で向かうものだと思っていたのでわたしはかなり衝撃を受けた覚えがある。ロウソクの明かりを頼りに分厚い聖書を読みながら十字を切る。わたしは一人で神に対峙するものだと思っていた。又、そうするイメージだけが祈りだと思っていた。

 養護施設でただ一人生きねばならない子ども達の為に用意された言葉の数々に戒められながら、わたし達は生きていた。

 子どもになどなれないのに「幼子のように求めなさい」と戒められる。
 
 幼子のように無垢になれないわたし達を戒めながら、児童養護施設には幼子などどこにもいなかった。わたし達は結果を引き受けたつもりで社会で生きてきたけれど、わたし達は背負いきれない荷物と共に、施設の門からポイっと投げ出されただけだった。

 それを卒園といった。

 三月、卒業のシーズンになると、分厚い聖書をダンボールの底に隠して出ていくイメージが何度もよぎる。コトバに縛られ、コトバに戒められ、少ない荷物と、背負いきれない運命というものを抱えて、子捨ての完了の結果を引き受けさせられ、子ども達は散り散りに外へと出ていった。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 22時58分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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