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嫁姑:「子どもを捨てなかった人」の誇りとプライドに対峙する自分の気持ち

養護施設を出てからの問題


 結婚してから、わたしは生まれてはじめての家庭に触れた。今まで一度も体験した事も見た事もない家庭だった。

 夫の母はわたしにとってはお姑さんだけど子育ての様々な苦労の話をしてくれた。彼女にかかれば、児童養護施設で育ったわたしの体験は笑い飛ばしてしまう程の小さな事だと教えてくれた。施設でのんびりと育った子どもは、泣く泣く施設へ預けざるを得なかった母の心を知らない。わたしの感覚を「まだ若いから知らないのよ」とも言っていた。

 わたしはいつも彼女から、小さかった夫を背中に背負い、橋の欄干から飛び込んでしまおうとして思いとどまった話を聞かされた。彼女は背中でむずかる彼の温もりにハッと我に返り、どうしても子どもの命をあやめる事はできなかったそうだ。

 そうして、子どもを育て上げた事を自分のほこりとしている。だから彼女はどうしてもわたしの実親とわたしの関係を、そこまで何の関係性も築かれなかったとは思えない。彼女は彼女、わたしの生物学的親とは違うのに、彼女は母心を信じたい。これも一つの親子の幻想なのだけど、老いた彼女は子ども世代のわたしの話を信じたくない。

 わたしは施設時代の全てを通して捨てられ切った事を始点として歩いているというのに、又、実親子の世界観を押し付けようとしている。結婚をしたらこのようなシーンに遭遇する可能性は高い。家庭に入った養護施設出身者としての自分は、この世界観が耐えがたく感じられる時がある。

 この世界には、泣く泣く子どもを施設へ預けたという便利な言葉があるから、捨てられ一人施設で生き延びたかつての児童に、実親への愛情が足りない事で責められる。

 会った事もない人間、育ててもいない人間を、産んでくれた事をもって感謝しなくてはならないと他人は勝手な事をいう。

 自分の母心を計りに掛けて、他の母の事も同じ括りで語ろうとする。そして彼女は「わが子を殺せないからあんたを施設へ預けたのよ」とも言っていた。

 結婚して家庭に入れば癒されると思うのは早計だと思う。結婚して家庭へ入ればなおさら自分には誰もない事、そして、誰もいない事実を踏まえてその先を歩こうとするのが難しい事に気付かされる。

 せっかく、自分には誰も居なかったという事実をきちんと獲得したのに、

 「そうではない、あんたには泣く泣く施設へ預けた産みの母がいるよ」と諭される。

 いつになったら、施設で全て育った事のメンタルを、そうなるのはごく当然の成り行きであると世間が理解できるようになるのだろう。姑は息子を施設に入れると考えただけで涙が止まらないという。

 子どもを捨てなかった姑を尊敬しているけれど、それと同時に、捨てざるを得なかった哀しい母心という話の持っていきかたに、時々、非常に空しさを覚える。世間のスタンダードは時にマイノリティの者に精神的な攻撃を加えてしまう・・・もちろんお姑は無自覚なので怒るべきではないが。愛情と母心がセットになっている人に対して、何も言うべき言葉を持たない施設全部育ちの構図を、どこか冷めて見てしまう。

 ・・・ちょっとした愚痴でした。

|  養護施設を出てからの問題 | 08時39分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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