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恵まれない子ども達が善意の人のその質を選ぶ事については?

コラム

 コンプレックス

 わたしはコンプレックスの塊だ。養護施設の恵まれない子ども達のツールとして生きていた【感覚】を持っている。だから、自分の気持ちを構築している元・恵まれない子ども達の一人が、大人として今、「優しい人の手」を選択する理由として、それを、恵まれなかったわたし達独自のコンプレックスの故と【だけ】乱暴に語らないでほしい。
 
 施設時代、善意の人の愛の手をすべてありがたく受け取らなくてはいけなかった。質を問わず、全てありがたく受け取り、所謂寄り添いに感謝の【態度】を示してきた。

 一部の、家庭で虐待を受けた人の捨てられ感覚を、養護施設で実質捨てられた子へ投影している【かもしれない】ように見える人がいてもわざとスルーしてきた。なるべく気付かないフリをしてきた。大人になっても、しかし今、この癖は自分のスタンスの軸をあやうくさせると気付き、わたしは本音を書くようになった。

 ・・・わたしは誰かの家庭で虐待を受けた事で失った力の復活の為のツールじゃないと今は言いたい。養護施設の捨てられた子と、実際は捨てられたわけではないけれど捨てられた気分の家庭の人の【念の】為に、どうして所謂養護施設の恵まれない子がツールとしていつも必要なのかと、その立場に怒りを覚える。

 でも、これに対しても・・・また便利なコトバがある。
 
「彼らはわたし達にコンプレックスを持っているのよね」という、わかったようなわからないような表現。でもコンプレックスは自ら勝手に持つものじゃない。コンプレックスとは力の差の関係から生じるので、どうしても叶わない相手には常に勝てない事実を突きつけられる事によって生じる。

 特に家庭で虐待を受けた人は力を取り戻す為に弱い立場の者を探し続ける。親のない子、身体障害者、色んな社会的弱者を探し出し、こんな自分でも彼らから求められている事により、無力感を取り戻そうとする。それは自分の力の復活の為のツールとして必要だから。
 
 社会的弱者としての養護施設の子ども達は、その、けして勝てない相手から、寄り添われる事や労わられる事で、壊れゆくものがあるけれど、壊れゆくという感覚を持つことも出来ず、感謝の言葉を口にさせられる。感謝の言葉を引き出して、何もない者から賛美を奪う。それがわたしの目に映る、善意の人々だった。

 パワーを貰うという事はパワーを奪う事であり、奪った相手には何も与えない事だ

 お互いに+-zeroなら良いけれど、なかなかそういかず・・・。

 親のない子からパワーを貰ったという人がいる。親のない子のパワーを奪ってまで、その人は癒されたいのだと思う。そうしてまで傷ついているその人の核の心理があるのだと思う。わたしは、自分より弱者を探して、役に立ちたいと思えない。

 何故なら誰かにとって役立たなくてもわたしは【自分勝手に】生きているから。

 わたしはこの世に真に優しい者はいないと思っている。だから「本質」を語る事が、わたしにとっては一番優しい事だと感じている。
 
 わたしは差別心丸出しになってはいけないと頑張る人の前で、いつも劣等感の塊だった。  わたしの課題は当面劣等意識だと思う。

 劣等意識を整理しなくては、本当の援助者に気付けないように思えてならない。


| └ コラム | 09時54分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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