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探索:どのようなルーツなのか知りたい気持ち

コラム

 サイドバーにあるブックマークの中にシティライフという題名がリンクしてある。そこへゆくと児童養護施設「野の花の家」の園長の記事が書いてある。

 その中で、何となくわたしにも理解しやすい言葉が書いてあったので少し紹介してみたい。



引用元の記事 http://www.cl-shop.com/citylife/cl/back/kiji/kizuna/2.htm

中学に入学する年齢になるころ、子どもたちは「ねえ、おかあさんさがして」と、花崎さんに訴えるという。

「自分自身のルーツを求めたいのです。いったい自分はどんな親から生まれたのかを知り、理解したいという気持ちがそのような言葉として表れるのです。親に捨てられたという思いしかなかったなら、あまりに残酷です。これから先、立ち上がって行くために自分を検証している時期なのです。その時に改めて私たちは “あなたを愛している。そして、あなたのことをどんなに心配しているか”ということを伝えます。そうすることが、子どもたちの生きる土台となるのです」。



 自分の場合の基礎データ

 わたしの場合の生物学的親は精神的な病を持っていたので【まともな】情報が全くない。又生物学的親の父親とは一度も会った事がない。わたしには姉妹がいる事を大人になり知ったが、親の扶養の問題でケースワーカーのセッティングにより、一度会ったきり。住所も電話番号も知らない。
 
 親戚縁者、血縁に繋がる人を誰一人知らない。精神的な病(総合失調症だそうだ)を持った生物学的親との付き合いを望む親戚は誰一人居なかったのだろう。そういう意味では生物学的親もその子どもも血縁から捨てられたのかもしれない。

 しかし今、自分の事を無性に知りたいと思っている。自分の生まれた筈の地を旅した事もあるが、自分のルーツの探し方を知らなかったので単なる観光になってしまった。続柄が誰一人いないので手がかりが全くない。

 でもわたしの場合、自分の生まれた経緯を知りたい気持ちは、探索行の意味合いがある。何度も書いているが育てられた事もない人に思いを重ねる事はできない。正しく知ればもうそれでいい。ここを誤解されると大変困る。

 親を探すという言葉に飛びつく人がいるとルーツを求める探索行が母を訪ねて~モノになってしまう。どっちでも良いと思う人がいるかも知れない。でも違う、違うとしか言えない。

 夫の親戚の数にはいつも驚かせられる。みな、顔のパーツが微妙に似ている。血縁というのはすごいと思わぬでもない。これほど似た顔の人たちが宴席に集まるのだから。でも夫にとっては当たり前の世界だそうだ。

 自分にもどれくらいの親戚縁者がいるのか、父親はどんな顔しているのかや、知りたいと思う事がある。これも夫の血縁の多さにあてられて、びっくりした為かと思っていたが、どうやらこの引用文を読む限り、自分の事を知らない者がごく自然に辿る道なのだと知った。

 かといって、その代わりに職員から「あなたを思ってる」と言われても、それもまたピンと来ないのだが・・・。まあここではもういいか。

 補足
 
 わたしの場合、少し生物学的親の影が見えるので、わざわざルーツを知りたいと思う事に違和感を覚え、この部分を自分でも考えた。そして、生物学的親は、普通の会話が一切出来ない程の重度の精神的病なので、聞かされるわたしは信憑性を疑うしかないのだと結論づけた。

 たとえば、
 
 「あなたは横浜の港の近くの教会の神父に可愛がられていた」と、どっかの童謡のような事を言われても、信じられるわけがない。そして他には血縁者がいないので、ずっと事実を知りたいのだと分析している。

 施設育ちの人でも親戚や兄弟などがいれば、少し強迫観念的に自分に関するルーツや情報を知りたがる事はないと【勝手ながら】に思っている。

| └ コラム | 20時42分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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