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情報の質と内容をどのような形で受け取るか自らが選択する責任

めんたるせいり

 受動的であること

 暴力という言葉が自分の中でどう定義されているのか、まだ未整理だ。又、わたしとは様々な面で異なる思想を持つ夫とどのように対峙するか、その方向性もきちんと定まっていない。

 姑の文化の入り口で躊躇

 わたしには、今も夫から軽く笑われてしまう態度がある。それは食事中にテレビを見られない事だ。【今は見られるようになったが・・・】養護施設では食事中のテレビはありえないが、夫は食事中のテレビ視聴は当たり前だった。・・・そして彼を育てた姑は今も食事中にテレビを見ている。
 
 しかも姑はいわゆるサスペンスものが大好きで、テレビから流れるどんな残虐なシーンも意に介さない。。わたしはどうしても箸が止まる・・・そのシーンに縛り付けられるか、あるいは、激しい拒否感があり、食事もノドを通らなくなる。

 すると姑はいつもそれを見咎めて呆れる。

 「あんたね、そんな弱い根性でどうするの?別に大したことないでしょう、これくらいのシーン。全く本当に根性のないお嫁だわね」と。

 夫は「彼女は、お母さんと違ってセンサイなんだからさ」と苦笑いする。わたしはもう食事どころの騒ぎじゃない。スプラッタな場面を前に味噌汁をすすり、おしんこをポリポリかじる姑を呆然と見る日々。

 と同時に内面で、これは「根性を見せなくてはならない話なのか?」と迷う自分。

 わたしはそれからは頑張り、猛然とテレビを見るようになったが、それでも、今も慣れないのは無作為に流される暴力の場面だ。今でも姑は新しいテレビを見ながら殺人事件のシーンを楽しんでいる。

 夫からみるとわたしは、姑との話のネタになるほど、根性がないらしい。

 「俺なんか、小さい頃からあのお母さんに育てられてきたから血が流れたり暴力シーンが流れる場面でも飯は飯として普通に食ってたよ。君もそんな場面を見たくらいで飯が食えなくなるなんて、ほんとにそういう所だけは、免疫のないお嬢様みたいだな」と。

 わたしは何の事に免疫がないか分からないほど色んな事について無知だし、夫の文化に触れた以上、少しでも自分の堅固な価値基準を崩しながら相手に合わせようとしている。

 それでも食事中にドラマの殺人事件を受動的に見せられながら育った姑と夫の感覚には、わたしは違和感と、地下運動的な抵抗感を覚える。

 情報の質と内容を選択する事 

 食事中にスプラッタ・シーンを見ない選択は「根性の有る無しを問う問題じゃなく、免疫の有る無しを語るものじゃなく」これは「安心して寛げる、いわゆる団欒スペースとしての家族の共有空間をどのような空間にしたいのか」を、家族間で話し合う問題だと感じている。

 暴行のシーン、ドラマの殺人、衝撃の映像を見ながらもぐもぐご飯を食べる習慣を持つ夫は、いつも彼の母である姑から「世の中にはこんなひどい事件があるんだね、お前も気をつけなさいよ」と教育されてきたと言う。
 
 つまり、姑はテレビ越しに流れる残虐なシーンを「自分たちにはありえないケースとして前提におき」それとももに「世の中にはこのような大変な人々もいるよ」と、食事中、息子に見せ続けてきたようなのだ。#その教育の方法については、わたしは未整理。

 わたしは、選択の余地なく施設という暴力空間で育ったので、暴力シーンの坩堝に投げ込まれる事がリアルにどんな事か肌で知っている。だからこそ、避けようと思う、回避しようと思う。そうでなければ今度は魅せられてしまう、惹かれてしまう。その考えの違いが夫とわたしの間で、お互いの考えの溝にもなっているという事が何とか理解できた。
 
 ★整理が、全く出来てない文章ですがこれも思考錯誤の足跡という事で、はい。
 

|  家庭内虐待の問題 | 06時16分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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