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連鎖:一方的な被害者ではいられない施設出身者の複雑な心理

めんたるせいり

虐待の連鎖について

 家庭の子が虐待を語る場合は、成人になるまでの期間の全てを被虐状態であった事への怒りを基礎として語る事ができる【とくに施設保護が叶わなかった場合】

 家庭の子はその家庭で常に子どもであり続け、大人に対峙し続け、大人に利用され続けた子ども時代を生き延びたのだから、被虐を語り続ける事が【できる】自然な思考の流れだと思う。

 家庭の子が加害者になりうる可能性は、自分が子どもを育てる時に対峙すべき問題として表出する。男性の場合などは、青年になった時に自分の内なる力を、どのように扱わねばならないか、怒りとパワーの制御に関する問題として考える事になるだろう。

施設の子の暴力の連鎖について

 しかしその一方で、児童養護施設だけで育った元児童はどうだろうか。

 養護施設の子が他人から暴力を受けた場合はどうかというと、言葉は乱暴だけど、純粋な被虐待者ではいられないという問題に尽きる。養護施設の集団生活の中では、自分の年齢が上がれば上がるほど今度は加害者になりうる恐怖と、その連鎖に抗う戦いを求められてしまう。【わたしは少なくとも戦う必要を感じた】
 
 養護施設で大人から【指導員】殴られながら、それでも自分は、小さな子を視野に確認しながら暴力の連鎖をどのように断ち切るか、を、瞬時に求められていた。

 この殴られ続ける自分の状況を瞬時に判断して、自分で気持ちの整理をしなくてはならないのが施設児童の、ひとつの求められている現実だ。

 まともなカウンセラーもいない施設空間で、自分で自分の気持ちを整理する。自分の暴力性を前提として【これを開き直らずに】小さい子へ伝えないように戦う。こういう戦いが施設の子どもたちの戦いだと感じている。

 しかし実際は、そのような整理など不慣れで、やりたい放題やってきた結果虞犯少年として施設に入ってきた子らの影響もあり、多くの施設児童は、更に小さい子へ虐待の意識を伝播させてしまう。そのリスクの高さを知り、必要な管理をすることも出来ず、【親のない子への異常な程の管理は出来るくせに】それどころか、職員も暴力環境に無自覚に魅せられてしまう現実が、わたしの感じる児童養護施設イメージだ。
 
 だからわたしは、加害の気持ちを意識化すべく整理している。

 とくに虐待を受けた記憶の残っている人は、被虐だけを整理しようとするが、実際はおそらく被虐体験のおりに転移したその加害者の意識を、自分の内面にもあるという事実を認めたくないのだと感じている。

 わたしの目的は、自分の癒しよりも【多少は癒されたいが】自分が加害者にならないように整理すること。たぶん、自分が癒されることはないだろう。だから、せめて自分が加害者にならないように戦う。これが自分の今のところの、メンタル総動員の自己の影との戦いなんだと思った。

 わたしみたいに加害への恐れを語ると、被害者だった人々がフラバや怒りにより苦しむのではないかと思う。しかし、虐待を他方へ連鎖しないと決めた人がいれば、この加害を行いうる自分の心理についても逃げる事はできないと思う。

| ├ メンタル整理 | 09時47分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

 この記事に反応し、被害者であることに安住して、自分の加害者的立場をごまかし、加害意識を持っている人が恐いという人もいるけど、ま、逃げまくっている人は、勝手に逃げ続けていればと思うわ。

 でもね、そういいながら養護施設でボランティアをして、加害者に転換していくの。

 被害者は、いつまでも被害者ではいられない。年長児になったら、大人になったら、未整理のままだと、必ず加害者になる。

 大人は、安全で安心できる大人でなければ、子どもに接してはいけないの。自分の傷をなめさせるために、施設ボランティアをしたり、施設職員になるのは、立派な加害行為だと思うわ。

 Leiちゃん、よく書いてくれてたわ。ありがとう。

| Maria | 2008/04/02 03:36 | URL |














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