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施設育ちのわたしの「自己イメージ」と世界観の再現性に関する整理

養護施設を出てからの問題

 再現性のリスクの高さ

 わたしは友人にしろ彼氏にしろ、人を見る目がないと言われる事が多かった。

 実際、社会の中で生きていこうと選択するわたしは、細胞が馴染んだ世界観をいつの間にか再現しあう、ある種のタイプの人々を無自覚に選択していたのだと思う。過去の再現性の高い環境に身をおき、過去の再現性の高い人々とふれあい、坂道を転がり落ちるように、同じパターンを繰り返してしまう。

 殴りあわない人々といると、だんだん居心地が悪くなり、自分が自分ではないような気がしてくる。自分を嘲らない人を前にすると、自分がイメージしている自分らしさが崩壊してしまい、イメージとしての自分らしさへ舞い戻ろうとひたすら焦ってしまう。

 養護施設の子は殴りあわない人々の中にいるうちに、殴りあう世界観を自ら再現しようと、その優しい感覚を破壊してしまう。養護施設の子たちが一般社会の人々と折り合いが悪く、職場を転々としたり、住居を転々としてしまいがちなのは、絆が無いばかりではなく、この無自覚な再現性を望む行動による部分が多いと感じる。そして暴力沙汰のリスクが高いのも、この無自覚な行動のゆえなのだと自己解釈している。

 本能と願望の違い 

 生まれて初めて身を置き、育った環境への意識化されない回帰願望とも呼ぶべき【勝手にそう考えている】この行動は、後で我に返った時にも不思議な納得感をもたらす。しかしそれは人としての本能などではなく、後付された自己イメージによるものだと整理の段階で知った。人が荒ぶる世界観を乳飲み児の頃から獲得する本能など聞いた事がない。

 人間関係を自ら破壊してしまうお決まりのパターンを、あらかじめ予定していたかのごとく、その結果を受け取ろうとする自分の意識化されにくい行動を、見過ごさないようにしていきたい。

 養護施設の子ども達の自己イメージは徹底的に低い場所に設定されていると聞くが、これは施設の子の側の先天的な問題じゃなく、養育環境で獲得させられたものであり、しかも獲得させられてしまったものを、本能と誤解してしまったところに、わたしの人間関係の失敗のしやすさがあった。

 殴り殴られてなんぼの世界を生き抜いてきたからこそ、そこを脱する為に整理していく事は、様々な気付きへ至らせてくれる。ひいては虐待の連鎖をどのように防ぐかという話へも引き継がれてゆく。だから整理する、子どもにとって安全な大人として、子ども達を自己表現のツールにしない為には、自分が持つ自己イメージにメスを入れなくてはならないのだ。

 ・・・と思った。

|  養護施設にいる間の問題 | 00時44分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

 
 わたしも
 
 「骨の髄まで覚えこませてやる」
 「骨身に染み込ませてやる」

 というような発言に慣れているので、
 夫と行ったトンコツスープ屋で濃厚なダシの取り方について書いてあるのを読むと、

 ドキドキしてしまった。

| L@骨の髄まで教え込んでやる | 2008/04/09 04:49 | URL |

失敗しても殴らない人が不思議だったわ

Leiちゃん、

あたしも、施設を出た後、多くの大人達が殴らないのが不思議だった。

 紡績工場で機械に服を挟んでレーンを止めたとき、班長に注意され、殴られると思って手で頭を防いだけど、気をつけるように注意されただけだったわ。

 殴らない大人達が不思議で仕方なかったわ。

 施設では、「体に覚え込ませる」といって、殴るのが普通だったから…

| Maria | 2008/04/09 00:38 | URL |














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