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「施設が地獄」と気付くまで、自分が単に変わり者と思い続ける子ども達たち

養護施設にいる間の問題

 からくりに囚われたままでは捨てられた子はいつも単なるおかしい子で終わる

 まず捨てられた子に関する周囲の大人たちの表現はとても軽い。

 「たんに親がいないだけ」
 「親から虐待されるよりは施設の方がまだいい・・・」
 「虐待するくらいなら捨てられた方がよかった」
 「虐待後、親のしがらみに苦労するよりは施設に行きたかった」

 そのように表現される一方で、乳児院から施設にいた子、物心ついたら施設にいた子はどうかというと、これは施設全部育ち自ら言いがちな言葉として、

 「根性がついた」
 「俺には誰もいないけど、しっかり1人で生きる」
 「多くの人から愛情もらいました」
 「産んでくれただけで感謝しています」

 というように やたら子ども自身が覚悟している生き方はとても究極な表現が多いし、何故か男子言葉が多い。施設全部育ちには女子もいるのだけど、紋切り型の言葉として世間に発せられるメッセージは、何故か男子言葉。

 でも自分の表現がいつの間にか「生きているだけマシ」と言っている事に気付かない。そして捨てられた子が気付かない事を、すべてを知っている職員もわざわざ指摘しない。なぜならそこで「お前には誰もいないと言ったら」その子どもに指摘した責任を、その大人が取らされると思い込んでいるから。でも、施設全部育ちは家庭育ちと違う、そんな事で責任取れと発言する発想がない。

 誰も絆のない子ども達の事が問題になれば、ゆくゆくは「里親制度のインフラが脆弱なままである問題」へ意識が繋がるから。施設職員はあらゆる方法を使って施設存続のあらゆるメッセージを発する。
 
 そして総論ではおかしい事でも各論では必要悪になったりする施設養護なわけだからシンプルな話に至れない問題もある。
 
 大人は「お前にもいつか誰かが現れる」と,暗黙の逃げキーワードを、子どもたちに教え続ける。捨てられた子ども達も子を産み、又施設へ預ける、そこに連鎖がある事に気付けない。でもそれは社会的な連鎖でもある・・・何故なら、それは社会的弱者のまま、教育も絆もないまま、精神病者の親が生きている事を根拠に、1人歩かされる子ども達の問題でもあるから。
 
 そしてもし、施設全部育ちの中にも悩み始める子どもが現れたら「この子は少し変だから」といえばすむ。「施設育ちのマイノリティ」とは「頭のおかしい子」と烙印を押された子たちだったのかもしれない。わたしの児童票には「ずるい子」と書かれていた。ずるいのは「誰かが割った花瓶を黙々掃除してた」から。自分だけ罪を逃れようとしていると思われたようだ。

 ・・・さて。

 施設を無くせと言えない。
 何故なら家庭虐待の措置先、保護先としての役割として活性化しているから。
 
 家庭で生死に関わる虐待がある限り養護施設はあり続ける。

 ・・・でも、親から捨てられた子、親がとても育てられない子どもの状況は相変わらず施設問題の一番重篤な問題だ。

 「親が育てられそうになく、これからも施設で子ども時代の全てを育つ事が容易に予想がつきそうな子」に、たった一度でいいから里親家庭をと願わずにやまない。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 11時52分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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