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殴られる子と殴る子と受け取る幾つかのメッセージ

メンタル整理

 暴力に関して敷居が低い自分なのだけど、最近付いてしまった「弱さへの侮蔑や軽視を持つ自分の感覚」を、がんばって整理したいと思う。

 ・・・小さな子が上級生から殴られるシーンを見せ付けられるという事は、小さな子が殴られて可哀想だと思うだけじゃなく、小さな子は上級生から殴られる存在だ、という抗いようのない事実の確認でもあった。
 
 でも「殴られる小さな子は可哀想」と表現する事はたやすくても「小さな子は殴られる存在だという感覚を持っている」などとは言えなかった。だからその感覚は、自分の意識下にひそかに仕舞い込まれる感覚となってしまった。その感覚を持っている自分を許せなくもあり、同時に、持ってしまった感覚の取り扱い方が判らなかった。【今は文章化する努力をしている】

 ふだんのわたしは「暴力はいけない」「上級生が小さな子を殴ってはいけない」と言い続け、活動などのお手伝いをやっている。だから尚、自分のイメージを崩せない。

 いつの間にか自分の意識の下層に溜め込んでいる「小さな子は上級生から殴られる存在だ」という刻印のように受け取った事実認定のようなメッセージを、まるで一度も持った事がないかのように、一度も整理せずに来た。だから文章化というものをしている。

 暴力という行動を日常的に目にしていると、一つの暴力を振るうシーンから幾つかのメッセージを同時に受け取る。上級生への恐怖だけじゃなく、力を振るう存在への畏怖、パワーへの羨望、そして何よりも弱さへの軽視と軽蔑も・・・。

 だから、日常的に暴力がある環境で育つという事が、自分で考えてもいかに恐ろしい事であるかを、今更ながら自分の中に確認する。自分の心の中にある暴力性を否定する、そして否定しながら弱き存在に対する軽視を持っている事を隠そうとする。

 あの環境で受け取ったメッセージの集中砲火を整理していても後から後から追いかけてくる。今の自分では子どもに近づく事はできない。暴力を振るわないと決意するだけでは足りない。

 ところで、

 この流れで、DV家庭の出身の人のたとえを出すのが正しいか分からないが・・・、

 いつも父親から殴られる母親を見続けていた知り合いの男性がいた。彼は、ふだん「非暴力を唱えていた」が、女性に対する態度に、彼自身が意識しきれない女性への扱いの乱暴さが見受けられた。積極的に暴力を振るうわけではないが、彼は他の男性と比較しても女性への扱いや、女性性の悲劇に関する宿命論者のようにも見えた。

 彼は幼い頃から殴られる母を毎日見ていて、母が可哀想で仕方なかったと言い続けた。しかし同時にわたしは、彼の振る舞いを見ている中で、彼は女性はこう扱われても仕方ない存在であると、同時にその行動を通して表現しているように見えた。

 だから言葉だけで整理しても、それでは足りないのだなと思った。
 
 一方、

 殴る者と殴られる者の日常が集団によって繰り返されやすい環境である児童養護施設では、その暴力環境にDV環境というラベリングさえなかった。児童養護施設はあくまで子ども達が保護されて、親はいないけど幸せに生活していると思い込まされていた。

 中に住んでいた子ども達も、暴力環境だとは知らなかった・・・。

| ├ メンタル整理 | 21時26分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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