PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

本当に「虐待を受けるよりは施設で暮らす方が子どもにとっては幸せかもしれません」ですか?

養護施設にいる間の問題

明文化し難い問題

 10年近くネット生活をしていて、様々な立場の人の意見を読むうちに、どうやら「虐待を受ける事」は、当然ながら傷として認識しやすく、方向性が定まれば怒りも吐き出し易く、表現も多様な可能性を持っている事に気付かされた。

 虐待を受けた事を傷として本人のみならず周囲も認定すれば【裁判なども一つの手法】様々な困難を伴うものの、やがて整理の方向性も見えてくるし、戦い方も見えてくる事だろう。又、支援者も現れやすい。

 でも、

 捨てられた人が捨てられた事のみを語るには実際多くの困難が伴う。

 ブログで文章化すれば、虐待を受けた人たちの衝動や拒否や怒りを受けることになりやすいし、施設に保護されたくせにと責められやすい。

 又、施設だけで全部の子ども時代を過ごした事の何が問題なのか、あまり明文化されていない事もあり、とくに施設全部育ちが語れば、周囲からは不平不満と言われやすい。その為、本音を語れる卒園生がいない。

 わたしは自分探しの旅の際、保母から「あなたは問題ではない事をあえて問題視しているんじゃない?」と言っていた。わたしは一瞬「そうなのかな?」と納得しそうだった。今は揺るがないけど。

 乳児院・児童養護施設だけで育つ事が深刻な問題であるという事が、世間の中で認知されていないので、思考の後ろ盾がない状況で、自分の主観を述べる事に躊躇してしまう。主観を貫くのはかなり勇気がいることだし、思考し続ける為の持続力も必要なのだ。

認知され難い問題

 わたしが今、同じ事を語れるのは自分がちゃんと家族や家庭を作れなかった事による私怨があるから。

 家庭を作れない事、人を大事に出来ない事、人は去ってゆくものという前提から抜けられない事などの問題を、積み上げたまま放置せざるを得なくなっていた。自分の目下の問題を考えるという事は、自分の概念を再考する事だし、それは概念の始まりでもある子ども時代を整理する事なのだ。
 
 「虐待を受けるよりは施設で暮らす方が子どもにとっては幸せかもしれません」

 そう考えると、定型文のように出てくる上記の文章は、そのつもりで読むと、施設で子ども時代の全てを育つ事が虐待として世の中的に認知・カテゴライズされていない事に気付く。

 虐待を受けるか、さもなければ施設か、という究極の選択を迫る事自体全く意味がないと思う。 

|  養護施設にいる間の問題 | 04時24分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/583-dc6a5abb

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。