PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「家庭の子になれなかった施設の子」が成長後に選ぶそれぞれの道1

養護施設を出てからの問題

 里親ドラマは苦手

 NHKの里親ドラマ「瞳」の世界観を理解しなくてはいけないと思う気持ちと、家庭は自分には関係がない話だと目を逸らしてきた過去の気持ちが、心の中でシビアに睨み合っている。

 養護施設全部育ちにとっての「瞳」の世界観がわたしの世界観をおびやかすような気がして、どうしても目を逸らしてしまう。そういえば、里親さんを応援している施設全部育ちなんて哀れ、だと言った里子体験者の人がいたっけ。

 ・・・さて本題。

 養護施設育ちでも里親さんを応援する道を選ぶ元児童と施設職員の道を選ぶ元児童がいる。その元児童たちはそれぞれが大人になりブログなどで発信している。

 わたしたちは数年前、元施設児童だった現施設職員とさんざんやりあったが何を話しても平行線だった。彼がやりたい事は施設養育一辺倒であり、施設が改善されて虐待が無くなれば施設は良い施設になるという考えを示し続けた。

 しかしわたしたちは、施設がいくら改善されて虐待が無くなっても、親から捨てられた子にとってはたった一度しかない子ども時代を家庭を体験せずに過ごす事が子どもへの社会的・環境的虐待だと言った。

 彼と同じかどうかはわからないが、わたしも養護施設に居る頃にはすでに家庭から目を逸らさせられてきた。子どもの頃から子ども同士が『誰にも誰もいない事で保たれる均衡』の中に住んでいた。

 職員も言う。

 「お前達には誰もいない、しかし、そんな事を言い訳にせず、世間の偏見を跳ね返し、どうだ、施設で育っても親がいなくっても、ボクたち・ワタシたちはこんなにがんばってるんだぞと、見返してやれ!」

 と言っていた。

 職員も子ども達の目を家庭から逸らさせていた。家庭というものの実体験がない子ども達を前に「誰もいなくともがんばれ」と言い続けていた。わたしは職員の言いたい事のツボがわからなかった。

 施設の子ども達にとって耳タコになっているこのような言葉はやがて大人になった時に、それぞれの人の生き方に漠然と影響を与える事になった【と思う】

 誰もいなくとも負けずに生きるという事がどういう事なのかを知らないまま、世間へ放り出される施設育ちの子ども達は、後は自己責任で生きて行かなくてはならない。。

 養護施設職員では、親から捨てられた子に家庭を教える事はできない、それどころか養護施設を「大きな家族」「沢山の兄弟・姉妹」だなどと偽者の家庭もどきを与えて、そこで満足しなさいと言うのは、それは違う、それは絶対に違うと今なら思うけど・・・

 あの頃は、施設で育った事がどういうい事か判らなかった。


 後半へ続く・・・・>

|  養護施設を出てからの問題 | 05時16分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/589-4585c29a

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。