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「これは家庭では普通だよ」という普通の範囲について

施設育ちの見た家庭への印象

 これは自分の整理の為であり広く意見を求めるものではありません、相変わらず一部の方には不快と思われる内容となるかもしれませんが、わたしにとって必要な文章ですのでご了承ください。

あおっぱな


 施設しか知らない事を整理作業の結果自覚して、一般家庭の生活を学習するつもりで結婚後にその家で生活を続けている。

 しかしその一方で、「その家」がほんとうに家庭としてどのような理念を持つのか知らないまますべて鵜呑みにするしかないという立場の弱さや知識の無さを意識する事がある・・・。

 施設で育った者には大概、肉親はおろか、親戚縁者1人もいないケースが多いので、自分の嫁いだ家の問題について、何かしら外の目を持つ第三者がいない為、内々の一つの問題について、自分の判断能力の低さをいやという程感じた。

 その結果、個人の愚痴の域を出ず、実際的な問題解決へ至れず、自分が施設しか知らないので学ぶしかないと考えなおし、たとえ自分の動物的な感覚が疑問符を呈しても無視するしかない。嫁ならば嫁として当然求められる行いがあるという事らしい・・・。

 周囲の人々は施設育ちの嫁が家庭を知らないので

 「これが家庭では普通だよ」

 というが・・・。

 確かに家庭というものは相互扶助というものは大事で、互いの家族の間の空気のようなものを読むことで、その家庭人はそれぞれに、自分が果たさなくてはならない役割を求めに応じてこなす必要があるらしいというのも、少しは学んだ・・・。

 しかし・・・

 わたしは「○○会議」というものに慣れている。だからテーマを絞り、話し合う方が思考が働きやすい。しかし家庭というものは「空気」というものを読み取り、わざわざ話し合う必要がないようだ。ずっとそのやり方を定着させてきている。

 その定着しているやり方を、外から来た家庭を知らない嫁がつっつき回したり、その家のやり方に口を挟む事がそもそも不穏な態度であるとするなら、家庭という、なし崩し的にそうなってしまう事への、わたしの感じる小さな違和感は、違和感として持ってはならないという事なのか・・・と。

 「そのやり方は家庭では普通だよ」と言われると、それが本当に普通なのかどうか、何か基準となるものと照らし合わせなくてはならないだろう。嫁いだ先の人々の心を逆撫でしてまで「わたしはこう思います」と言い切れない自分のもともとの性格もある。【ブログでは強気すぎるくらいです、実は】

あおっぱな2


 少しおかしいと思った時点で何かを表明しなくては、その家庭では、無言の承諾扱いになってしまうのだと気付いた。いちいち問題点をテーブルに載せて、みなで話し合いと称する子ども会議をして育った自分は、

 無音の空気が流れ、なし崩し的に了解させられてゆく家庭の人々独特の強制力を今回のGWで強く感じた。家庭が子どもの育ちに大事である事はわかる。でも「我が家の流儀」がきちんと言語されないまま、流れていく中へ外から来た人が投入される時、どうしても、問題が起きる。

 これを里子の場合に当てはめるのは乱暴だろうか・・・。

 でも・・・家庭なら何でも里親家庭になってほしいと思わない。わたしは親が育てられない子どもが育つ環境にはそれなりの付加価値を求める。自分達の問題をなし崩し的にごまかし、逃げてしまうような家庭では、里子は迷うばかりだと思った。わたしは里子ではないだけに感じるものがある・・・。

|  養護施設を出てからの問題 | 09時04分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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